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その怒りは、どこから来ているのか

この間、書店・無用ノ用の店主片山さんと、怒りの感情について談義していた。

ことの起こりは、わたしが最近読んだ本『モヤモヤの正体』について話したこと。

ライター・インタビュアーの尹 雄大(ゆん うんで)さんの著書だ。

本はいくつかの章に分かれていて、その全てが示唆に富んでいるのだけど、中でもわたしが惹かれたのは、怒りについて書かれたものだった。
簡単に要約してみる。

常に何かに怒っている人がいる。こうした人のうちの何人かは、自分を傷つけられた過去が強烈な原体験として残っている。そして嫌なことが起こるたびに、その原体験とすり合わせて、自分の生きるストーリーと辻褄合わせをしている、というのだ。

例えば、過去に親や先生から罵倒されたことがあったとする。それは深い火傷のように、身体や心に刻み込まれる。
数十年後、普段は人がいいけれど、たまたま機嫌が悪かった上司から頭ごなしに叱られたとする。わたしは猛烈な怒りを感じる。そしてその熱を帯びた感情は数日間収まらないどころか、ずっと心に居座り続ける。

このときわたしは、上司に対する怒りだけではらわたをグラグラと煮えくり返らせているのだろうか。もっと遠い過去から今に向かって、ぽんぽんと燃料を放り込んではいないだろうか。

尹さんがわたしたちに問いかけるのは「その怒りは、今ここで湧き上がっているものか?それとも、過去の根っこからやってきているものか?」ということだ。

もちろん、過去の原体験は、猛スピードで次のステージにコマを進めるための、非常にコスパの良いガソリンになる。「しんどかったあのとき」を思い出すだけで、徹夜で仕事できる、なんて人もいるだろう。
けれども、その燃料に頼りきりでエンジンをふかし続けた先に、エンストする未来がちらつくのは恐らくわたしだけではない。

過去と今、そして未来は地続きだ。でも、今の自分の感情は、誰よりもはじめに今の自分のものであるはずだ。
怒りの主導権を、他人にはもちろんのこと、過去にも未来にも明け渡さずに生きることについて、今一度考えている。




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