機能性と佇まい、どちらかを蔑ろにしていないか
最近、おおきな買い物をした。
家具メーカー・イトーキの椅子だ。
なんて可愛らしく、それでいてナチュラルな佇まい。
しかもこの子、背もたれと座面も、姿勢にあわせて動くのだ。
腰を痛めやすいわたしにとって、無くてはならない機能だった。
申し分ないデザインで、しかも機能性も最高。
足掛け半年、運命の椅子を探した甲斐があった。
(この椅子を知ることができたのは、あかしゆかさんの以下のツイートのお陰です。圧倒的感謝……!!!)
この件について友人に報告したとき、興味深い話が出てきた。
何かを選ぶとき、機能性を優先して、佇まいをないがしろにしてしまうことがあるよね。
自分は、まさにこのタイプだ。
少し前まで、わたしの部屋には「便利そうだから」と買ったモノたちが、そこら中に転がっていた。
では何故わたしは機能性を重視し、佇まいに対して思慮を向けないのだろう。
どうして、その逆は起こらないのだろう。
思うに「何かしらの問題」のは、たいてい機能性の面において発生するように見えるからなんじゃないだろうか。
ペンがなければ、取り急ぎ文具店に入って、一番コスパが良さそうな一本を買う。
机がなければ、平面で、凹凸がなくて、作業をしたり書き物をするのにちょうど良さそうな台を購入する。
きっと大半の生産的”と言われる”場所は、そうして空間を作ってきた。
けれど、機能面での問題が浮き彫りになりやすいのに対して、佇まいの問題はじわりじわりとその姿を見せる。
いつもどおりの生活を送るなかで「なんとなく、このインテリアに机がしっくりこない」と言葉を発することの出来る人が、どの程度いるだろう。
一方で、なかなか表面化しないとは言っても、「佇まい」は無視して良いテーマではない。空間デザインや人の醸し出す雰囲気、それらによって風向きが大きく変わる局面を、わたしですら何度も見てきた。
きっとわたしの脳は、ある程度「不便だ」「できない」に真っ先に焦点を当てるように出来ている。大切なのは、そうした機能面へのまなざしだけが、物事を解決に連れて行くとは限らない、ということだ。
その点、今度お迎えする椅子は、持ち主の脆弱な腰を守るだけでなく、佇まいそのものでわたしの部屋を彩ってくれると思う。
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