わたしの旅、チェロの旅

大学生の頃に、オーケストラで欧州演奏旅行をしたことがある。行き先は、ドイツとオーストリア。2月から3月まで3週間くらいの時間をかけて、10都市をまわる旅だった。

今考えても、人より少しそれっぽく楽器が弾ける程度の人間が、よく豪勢な旅に連れて行ってもらえたものだと呆れずにはいられない。わたしがクラシック音楽の本場で演奏するというのは、草野球チームが東京ドームでプレイするようなものだった。

ただ、いくら草野球チームだったとしても、大掛かりなことをするなら準備だって大掛かりになるのだ。アマチュアだから何かが免除されるなんてことはなくて、きらきらした挑戦の前に与えられるミッションはいつもそこそこ公平である。そして、大小さまざまな試練のうちの一つが「楽器の輸送」だった。

ヴァイオリンやフルートみたいに手持ちサイズだったらどこにだって持ち運べるけれど、大きいものはそうもいかない。小学四年生の身長くらい背丈があるわたしのチェロも、ご多分に漏れず空輸で事前に送られることになり、すでに何回か海外渡航経験のある楽団から輸送用のコンテナを融通してもらっていた。さすが豪勢な旅。

渡航の数日前、わたしは楽器を持って、梱包のための部屋へ向かった。これから楽器が入るコンテナは、存外分厚いベニヤ板で出来ていて、うっかり蹴飛ばしてもびくともしない。ベニヤ板なんて、もっと薄っぺらいものだと思っていた。けれどこれだったら、楽器が機内で木っ端みじんになる心配はひとまずなさそうだ。

持ってきたチェロを、そっとコンテナの中に入れる。箱と楽器の間に隙間があるので、スポンジを詰めた。最後に毛布を掛ける途中で、まるで楽器を棺桶に入れて埋葬しているようだな、と思った。まてまて。むしろこれからが本番だというのに、わたしは何を勝手に閉じなくていいものまで閉じようとしているのか。

時差を考慮したって、四日後にはまたコンテナを開く予定になっている。一時的に離れるだけだ。なんなら次に再会するときには、一端のクラシックオタクとしてずっと行きたいと願っていた場所にいる。わたしも、チェロも。

なのに、蓋を閉めたらもう二度とこの愛器と会えなくなるんじゃないか、という不安が急に押し寄せてきて、自分を戸惑わせた。

コンテナをいつ閉めるか逡巡している間に、積み込み係の人間が「うしろが待ってるから、早くして」と言う。お前は火葬前の遺体に向き合う親族を前にしても同じことを言えるのか。けれど眼の前にあるのはチェロであって人間ではない。指をはさみそうになりながら、重たい蓋を閉じた。「チェロって人の形に似てるよね」という後輩の言葉が思い出された。

部屋を出る途中、ふと後ろを振り返る。さっき閉めたばかりのコンテナを見据える。いくら大きくて重たくて頑丈でも、ベニヤの野郎に自分のチェロをすんなり預けられるほど、心を許せたわけじゃない。わたしの愛器を預かるなんて、そんな荷が務まるのか、コンテナよ。ベニヤ板の強さ見せてみろオラオラ、と思いながら、同じようなコンテナでみちみちになった部屋をあとにした。

・・・・・

フランクフルト行きの飛行機で、周りの人間がソワソワとこれからの旅程の話をするなか、わたしは今どこにいるか分からないチェロの旅路を想っていた。別々のルートで、同じ目的地を目指す旅だ。

大事な楽器。1995年に作られた、自分と同じ生まれ年の楽器。決して安くないのに、両親が無理をして買い与えてくれた楽器。もっといい弾き手のもとに行くこともできただろうに、たまたまわたしのところに流れ着いた。そんな我が子が、どことも想像のつかない場所を、ベニヤ板に四方八方囲まれながら移動している。考えるだけで心がめそめそして仕方がない。

楽器や音楽を想うときの自分は、どうにも激情的になってしまう。「ちょっとしたこと」でカッカカッカと熱を発する日々。けれどそれを外に発して引火事故を起こすのはダサい……と思っていたので、わたしは腹の中でごうこうと業火を燃やし続けたのだった。

自分の熱で自分を燃やし尽くしてしまいそうで、音楽自体やめてしまおうかと思ったこともあった。けれどなにかと理由をつけて踏みとどまっているうちに、海を超えるところまで来てしまった。太平洋の上空にいても、わたしは相変わらずカッカカッカしている。

「骨のある人」は燃やし尽くしても灰のなかに煌めくなにかが残るかもしれないけれど、持たざる人が身を焦がしたところで、あとに塵すら落ちていないかもしれない。本当にいいのだろうか。わたしは。このまま燃えていても。


チェロのことを考えたり、楽譜をなぞったりしているうちに、飛行機はフランクフルトに到着してしまった。バスで最初の公演地、オーバーハウゼンに向かう。

ホテルに荷物を置いて、小走りでホールに向かう。ステージの脇にそれがある、ということだけは聞いていた。果たして、底冷えする舞台袖に着くと、あった。ついぞ数日前に蓋を閉じた、安っぽいベニヤ板のコンテナ。

冬のドイツですっかりかじかんだ手をこすりながら、蓋を開き、毛布をほどく。そこには、数日前に目にしたのと同じ姿で、わたしのチェロが眠っていたのだった。


他の楽団員の声が聞こえる。「うそお最悪、弦が切れてる」「こっちは板にヒビが入ってるんだけど!」「やっぱり湿度と寒さには勝てないか」。

そんなどうして、と思いながら、自分も改めて楽器をコンテナから取り出す。念入りに板を触り、輪郭をなぞり、弦を鳴らしてみる。

チェロは日本にいたときのまま、気持ちよさそうに鳴った。思わず「よくぞご無事で」と声が出た。


ゲネプロに備えて弓を張りながら、わたしは無事にはるばる数万キロを移動したチェロの、その旅について考えた。

ベニヤ板のコンテナに押し込まれて、どんなふうにここまで来たのだろう。お前の旅を聞かせてくれよ。わたしは飛行機に乗りながら、自分を賭して燃えることについて考えていたよ。

わたしよりもずっと燃えやすくて、ずっと脆いチェロは、相変わらず悠々と腕のなかで歌っていた。

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