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小笠原直著『監査法人の原点』を書評する(4/4)

この記事は前回記事の続きです。初めての方は第1回からどうぞ!

3-5.適正規模・組織形態(承前)

また本書は、「比較の非対称性」という点からも問題がある。具体的に言うと、本書は「小組織のパートナー」と「大組織の下位者」を比較している節がある。パートナーなら大組織だろうと小組織だろうと命令系統に服する必要なく判断を下せるはずだが、大組織のパートナーがその意味で「自由」だという議論は出てこない(大組織のパートナーは、「本来負うべき無限責任を有していない」という、これも理論的根拠の薄弱な別の理由で批判されている。160頁以降を参照)。逆に、「小組織の下位者」は果たして「自由職業人」と評価できるのかについても、正面からの議論がない。

この点に関して、本書は非常に特徴的な議論を展開している。本書は、少人数のパートナーから成る「自由職業人」の組織に望ましい特徴として、「濃厚な信頼関係」を要求する。これは、決して自明ではない。「自由職業人の組織」という表現からは、あっさりとした人間関係のもとで、プロジェクト毎に離合集散するような組織も十分考えられるが、この選択肢は全く議論の対象になっていない。

「濃厚な信頼関係」はパートナー間だけでなく、組織内の下位者にも要求される。中堅監査法人の代表である著者は、法人の採用にあたって全てのプロセスに全面関与(167頁)し、才能ではなく「いい奴」かどうかを最も優先していると述べている。

「私たちは、クローズドな組織のなかで、プライバシーをかなりオープンにして、家族的な信頼関係を形成しているので、そこに同調することができるか、異分子とならないかどうかがたいへん重要なチェックポイントであるわけです」

(165頁)

これは、著者の価値観に合わない会計士は(自分なりの軸を持ち、「自由職業人」としての美徳を備えていたとしても)自分の組織には入らせないという、入口段階で組織内の多様性を極小化する組織運営であるように感じる。さらに入所後も、「同じ価値観をもっているか…新人からパートナーまでトップ面接をして…問題があれば、必要な処置を講じるようにしている」(182頁)という。また、人員の流動性の高い組織について、「風通しのよさは悪いことではないですが、地に足の着いた濃厚な信頼関係、仲間意識はそこでは醸成されません」(162-163頁)という記述もある。

つまり、著者の運営する組織では、下位者は「代表と同じ価値観を持つ」限りにおいてしか「自由」は認められない、というように読める。下位者にとっては、このような組織は「ヒエラルキー」以上に息苦しいのではないだろうか。

著者は別の箇所で、最近の日本公認会計士協会について「公認会計士会員の意見・見識の多様性が見事に失われている」(155頁)と批判し、「以前はこのようなことはなかった。自由職業人の集合体として、責任を明らかにして皆が自由に発言をし、活発な議論を交わしていました」(157頁)と回顧している。著者が多様性という価値観を重視するのならば、自身が運営する組織の多様性について、説明が求められることになるだろう。


3-6.不正確な用語法

ここまで、本書の主要な議論を検討し、いずれも理論的に大きな問題があることを指摘してきた。本書では、議論の論理性以前に、そもそも基本的な専門用語が正しく使われていない例が複数存在する。

たとえば「監査リスク」について、ある箇所では「財務諸表の虚偽表示(粉飾決算)リスク」(23頁)、別の箇所では「適正性を保証した財務諸表に虚偽があった場合に投資家から訴求[ママ]されるリスク」(27頁)と異なる説明をしているが、両方とも間違っている。「監査リスク」とは、監査人が重要な虚偽表示を看過して誤った監査意見を表明するリスクを指す(監基報200第12項(5))。虚偽表示を粉飾決算と言いかえるのも正確ではなく、誤謬も虚偽表示に含まれる(監基報200第12項(6))。

また、合意された手続 Agreed Upon Procedures(AUP)が監査・レビューとともに保証業務の一種であると説明している(28頁)が、AUPは保証業務assurance engagementではない(「財務情報等に係る保証業務の概念的枠組みに関する意見書」二4)、(ISRS4400(Revised)-6)。IAASB(国際監査・保証基準審議会)が定める基準でも、AUPに関する規定は「国際関連サービス基準International Standard on Related Services(ISRS)」の一部であり、「国際保証業務基準International Standard on Assurance Engagements(ISAE)」には含まれていない。規定の内容を見ても、例えばAUPにあたっては独立性を要しないことが明記されている。

以上の例は、いずれも現行会計士試験の勉強で学習者が必ず触れるはずの基本論点である。「職業専門家」(16頁)を自称して議論を立てるのならば、このような基本用語の誤用は、望ましくない。これに、前節までに見た「定義の曖昧なレトリックの多用」や「藁人形論法の使用」、「標準的理論からの説明なき乖離」等の特徴を合わせると、本書は、専門家としての注意深さを発揮して書かれたテキストとは、評価し難いように思われる。


4.「業務改善命令」とその後

著者が設立以来代表を務める監査法人アヴァンティアは、2018年9月に金融庁より「業務改善命令」を受けた。これは、当該法人が実効的な品質管理のシステムを構築していないこと、実際の個別監査業務においても会計基準の解釈の誤りや監基報の定める監査手続を行っていない点などが問題視されたものである。

本書でもこの事実には触れており(190-196頁)、「根本原因には法人トップの品質管理体制に関する取り組みや姿勢が十分でないことが指摘された」(191頁)と紹介している。原因については、「規制強化という外部経営環境の変化に十分適応しきれなかったことに尽きます」と分析している(191頁)。

しかし、確かにクラリティ・プロジェクトによる監基報改訂は2010年と法人設立(2008年)以後であるが、品質管理基準は2005年10月、品基報1号(監査事務所における品質管理)は2006年3月に公表されていた。金融庁から指摘された問題は、法人設立時点で既に監査法人に対して要求されていた事項に関するものであり、法人設立後の規制強化によるものではない。

また、著者は本書の中で、繰り返し品質管理部や審査部に対する反感を表明している。

「(事業計画を見極めるのに)いちばん問題になりえるのが、監査法人本部の品質管理や審査会などの部署です。お目付役というか、ブレーキを踏む役。組織における防衛本能の中枢ですが、そもそもデフレ的なモノの見方、考え方をよしとする部署です」

(46頁)

「現場とは離れた“奥の院”、品質管理部や本部審査会が天の声を発するようになってしまった…現場から遠く離れた人が、現場の判断を事もなげに覆す。その根拠は、非常に希薄なものです」

(105頁)

「多くの場合、本部の審査会や品質管理部門で権限をもっている人というのは、公認会計士としてのキャリアは長くとも、現場感覚の乏しい人が多い…ずっと可もなく不可もなくやってきた、怪我することもなくキャリアを積み上げてきた。なぜなら現場にはこれまでほとんど立ってこなかったからです。そういう人間が本部にいて、いつの間にか力をもって、奥の院のように高圧的にモノを言うようになる」

(107頁)

このような記述に現れている氏の基本認識自体に、品質管理体制に関する業務改善命令を招いた遠因があったのではないか、という観点からの考察はみられない。品質管理の整備を「規制強化」と表現する点からも、品質管理の強化を不要なものとしてネガティブに捉えるニュアンスが読み取れる。


そして2021年11月、株式会社メタリアル(旧ロゼッタ)が特別調査委員会の調査報告書を公表し、同時に2019年2月期以降の有価証券報告書を訂正した。調査報告書では、会計監査人である監査法人アヴァンティア(サイナーは著者)が認容した複数の会計処理が、不適切であったと認定された。

これは、2021年10月に外部機関から「ソフトウェア資産計上の妥当性」等について指摘を受けたことで発覚したものである。会計監査人は、事業に新規性があるため研究開発費として費用計上すべきであったところ、被監査会社が継続した従前の処理(全てを機能の改良・強化とみなした上での資産計上)をそのまま容認していた。

また共同開発契約(成果物も共有)に基づく共同開発者からの費用払込を、被監査会社が売上計上した。本来は研究開発費の減額とすべき取引であるが、会計監査人は被監査会社の会計処理を開発受託契約と誤認して容認した。これは、被監査会社の経理部でも「いや。。〇飾ですよね...監査法人が認めたので通っちゃいましたけど」とチャットで噂された処理であった(調査報告書、84頁)。
その後、会計監査人側では実態が開発受託契約ではないとの疑問を持ったが、業務執行社員間の協議により、共同開発者への利用権付与の対価である(から売上計上は正当)と理解した(調査報告書、88頁)。売上計上は監査法人内部の審査でも疑問視されたが、業務執行社員は利用権付与のロジックで会社処理を擁護した。結局、会計監査人は、被監査会社が売上計上していることを知らなかった共同開発者にバックデートで「検収書」を書かせたことで、それを外部証憑として売上計上を容認した。

また、被監査会社では投資委員会がソフトウェアの資産性を協議・承認するという内部統制になっていた。投資委員会規程では「市場や見込売上に関しては、精度を保証しないイメージの数値であってもかまわない」(3項)、「詳細なアクション計画や損益計画は不要」(7項)と記されている等、その実効性を疑わせる要素があったにも関わらず、会計監査人は看過していた。


研究開発費やソフトウェアの資産計上は、見積りが絡む判断の難しい論点であることが広く知られている。しかし、調査報告書に登場する本書著者の回答をみると、批判的視点から被監査会社の会計処理が誤謬を含んでいる可能性を考慮し疑問の解消に努めたというよりは、予断をもって会社処理に問題ないと認識していたとの印象を受ける。

会計監査人が妥当な会計処理を適時に提案していれば、被監査会社にも、訂正報告書の提出による評判の低下は生じなかったかもしれない。また評判低下だけでなく、第三者委員会(通常数千万以上かかると聞いている)や課徴金納付といった経済的不利益も生じる。さらに2021年2月期には、別件で会計処理をめぐる対立が表沙汰になった(決算短信発表後、会計監査人がソフトウェア資産計上を否定したことで修正)が、これも監査人側が適時に会計処理の妥当性を検討・指摘していれば、対立が表沙汰になる事態は未然に防げた可能性が高い。


このような一連の出来事は、著者による「監査人は企業のパートナー」論の実践が、必ずしも企業の利益になっていないことを示す証左といえるのではないだろうか。


参考文献

浅野雅文、2019年。『今から始める・見直す 内部統制の仕組みと実務がわかる本』東京:中央経済社。
波頭亮、2006年。『プロフェッショナル原論』東京:筑摩書房。

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