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安藤裕子と、変わっていく日々

高校時代、FMラジオが大好きだった。

お小遣いは月に学年×1000円。
お年玉を合わせても今の月収にも満たない年間の収入だったけど、音楽が大好きだった僕は何とかたくさんの音楽を聴きたくて、FMラジオにかじりついて新しい音楽を摂取していた。

当時聴いていたFM802には日曜の夜に邦楽オンリーで構成された番組があって、往年の名曲や未だ知られぬ新曲がパーソナリティの優しい声と共に流れて来ていた。そんな中で流れてきたのが安藤裕子だった。

高校生の僕はバラードをゆっくりと聴くのが苦手だった。当時もこの曲を聴いたときには「バラードは苦手だ」と「特徴的な歌声の方だ」くらいの印象を持ったことしか覚えていない。

1年後、受験勉強を本格化させた僕は再び安藤裕子と出会った。
ちょうどベストアルバムが出たあたりだったか。偶然にもラジオで特集されていた、久々に聴くその歌声に、ストン、と魅了された。

歌に上手い、下手があるのは重々承知だが、あのとき以来僕は歌に情報量があることを知った。言葉にするのは難しい。個性と言えばそれまで。ただ、人を惹きつけてやまない声が確かにあるのだと知った。

そこからはずっと、カジュアルに僕の生活に溶け込んでいる。
大学受験の浪人生の頃は毎日就寝前のプレイリストを作って「海原の月」と「あなたと私にできる事」か「夜と星の足跡 3つの提示」を入れて、これらを聴いてから寝床についたものだ。ちなみに野中藍の「にちようび」が入っていたことも付け足しておく。

大晦日にはどの曲を聴いてから年を越すかで真剣に悩み、最終的に「唄い前夜」で年を越したこともある。

安藤裕子は、ふしぎなシンガーだ。

自身の世界が整然と詰め込まれた歌もあれば、それをぎゅっと握りつぶして滴る果汁のような歌もある。辛いときに、悲しいときに、楽しいときに、聴きたい歌はたくさんあるけど、どんな時に聴いてもそこに「ある」のが安藤裕子の歌だ。

強いて言うなら、誰かが愛しくて仕方がないときには、安藤裕子がいいと思う。

社会人になったあたりで僕は安藤裕子から少し遠ざかる。奇しくもその時期は彼女も人知れず活動休止となっていたらしい。久々に足を運んだライブはセルフプロデュースとなった後だった。

その最初に出した楽曲「雨とぱんつ」の歌い出しはこうだ。

雨とぱんつがずり落ちて僕らは裸になって抱き合うのさ

突拍子もないフレーズだが、そのフレーズは社会人になってかわり映えしない毎日を送る僕に少し休みなよ、と言っているかのように力みを解いてくれた。

そうそう、安藤裕子といえばカバーも豊富で、キリンジの「エイリアンズ」やNIRVANAの「Smells Like Teen Sprit」、ユニコーンの「雪が降る町」その他たくさんのカバーをライブで歌ってくれる。中でもこの日のライブの最後は小沢健二の「僕らが旅に出る理由」で、何度も歌ってるから「あ、これ人の曲だった笑」なんて笑えるMCも出る始末。

昨年の15周年のライブ、タイトルは"安藤裕子 15周年 LIVE~長くなるでしょうからお夕飯はお早めに~"とのことだったので早めにご飯を食べてから向かい。

その日のセットリストは、全てを出し切った姿が観られた、と感じた。

まさにベストと呼べるような楽曲たちを歌い、踊り、表現する。
どの曲も好きだけど、その日もっとも心に沁み渡ったのは「さよならと君、ハローと僕」。

幾年も生きて僕はまだ 無力に泣いたけれど
それでもいつも君はそこで微笑む

その時どんな想いで歌っていたのかは観客である僕らには知る由もない。
しかし、15年を順風満帆に生きられる人なんてさらさらいないし、それが歌声に乗っかってたのかな、と勝手に想像していた。

生きていく中で変わらないことは難しいし、変わってしまうのはいつだって怖い。だけど、今抱えてるものを手放したり、大切に抱きしめたり、それを繰り返しながら音楽は生まれてくるんだと彼女を見ていると感じられる。

彼女の愛称"ねえやん"も、そんな一人の人間としての安藤裕子に親しみを持って呼ばれ続けている、そう感じている。

一度だけ、本人のCD手渡しイベントに参加する機会があった。

緊張した僕が言った「ずっと聴いてます!」に間髪入れず「ほんと~?」と少女のような笑みを返す。

「ほんとです!」と少しムキに返した僕、その言葉が真実であり続けるのは安藤裕子だけだ、と今でも感じている。

皆様のサポートは、次回作品の制作費に充てさせていただきます。