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自分にとっての「幸せな状態」とは

あなたにとっての「幸せな状態」はなんですか?なにかをしている時や誰かといる時、ワクワクする時、ドキドキする時。きっと人によって幸せを感じる状況はそれぞれですね。

私は「心穏やかに過ごしている時」「心から安心している時」に最も幸せを感じます。

逆に安心できない状況でパニックになり、その場を切り抜けたとしても、自分の対応などを思い返して自分を責めてしまいます。

私は機能不全家庭で育ちました。物心ついた時から徐々に両親の仲は悪く、甘えることができませんでした。また、小学生の頃から母は外で不倫し、中高生の時は父が家でお酒を飲むようになりました。両親の激しい口喧嘩を同じ空間で聞くことに耐えられず、私はだんだんと自分の感情に蓋をすることが当たり前になっていました。

5〜6才の頃、外出先で母と手を繋ぎたくて母の手を握ったら、「甘えないで」と言われたことがありました。この頃もうすでに、悲しくても我慢することに慣れていたように思います。でも母の一言はぐさりと私の心に刺さって、未だに生傷のまま癒えてないように思うのです。

人間が人格を形成するためには、幼少期の親子関係と環境が重要だといわれていますが、私の場合は幼少期にそこを満たすことが出来なかったのかなと思います。「無条件に愛されている」という実感を持てずに育ってきたので、絶えず不安がついてまわる精神状態だったのです。

幸せの話に戻ります。私はいま結婚していますが、夫と一緒にくだらないことで笑ったり、美味しいものを食べたりしている時、本当に幸せを感じます。あとは仕事で人の役に立てた実感を持てた時や、夫の両親といる時。怒鳴り声などなく、食事があり、安心して寝る場所がある時。そして一番幸せの絶好調にいる時、生きていてよかったと思う気持ちと、いまこのまま死にたいという気持ちになることがあります。

本当は、母の前で思う存分今までの気持ちを吐き出してやりたい。あなたの発した言葉で私はこれだけ傷ついたんだ、もう目の前に二度と現れるなと言ってやりたい。でもそれをすると、最もなりたくなかった人間になってしまう。一番ベストなのは双方健康なまま縁を切ることだと思う。

私はいままで自分の幸せのことをあまり考えてきませんでした。死物狂いで日常を生きた刹那のご褒美のような感覚で捉えていました。でも、自分の幸せがなんなのかわかったいま、やっと幸せを自ら掴めそうな気がします。

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