2018年12月27日(木曜日) 日記27日目

 図書館も年末年始は休館してしまう。そこで働いている人たちの事を考えればそれも仕方ない事ではあるが、さて年末年始はどうやって過ごそうかな。
 おそらく寝て起きて寝るという単純な活動しかできないと思われるが、(現にこの日記を書いている日は、寝て起きて寝るしかできなかった)幾分それでは日々が味気ないように思う。
 インターネット上で年末年始のイベントを調べてみれば、大抵はテレビかコミケか大晦日という、全てが三文字で書けてしまうものばっかりで、それはそれで楽しいものではあるのだけれど、どれも積極的に見たり行こうと思うほどの興味が湧かないな。
 お年玉の準備もしないといけないな。後でお年玉袋も買わないと、親戚が来た時に今の私の状況をどう話したらいいのか分からないけど、まあ、それは来た時に考えればいいか。
 人が来てくれるのは両親にとっては嬉しいことだし、私は話をするのが面倒だけどそれはお互い様だと思う。いや怒られるんだろうな。どんなストレスにも耐えて生活できる人というのが当たり前なんだ。私はその当たり前から落ちてしまった。
 来年のことを考える。それと将来の事も少し考える。今の自分がどういう状況かさえ分からないのに、どうすればよくなるのだろうか。悪くなるのはもう分かっている。依るべき場所や制度や人が自分の視界から消えてしまう事だ。どんな状況になっても、それだけは避けたいと強く思う。そのためには生きるための制度や情報を少しでも多く知っておくことが大事だと思う。
「人は無知で死ぬ」ある有名なお笑い芸人が、あるお笑い芸人に対して大きな手術を勧める時に言った言葉だ。その言葉をきっかけに、手術を受ける事を決め、そして成功させたのだった。これは昔テレビで感動エピソードとして本になったりテレビで放送されていたから知っている人も多いと思う。何かを知るという事は、新しい判断が生まれるという事だ。
 順調に生きている人だって、いろいろな苦労があるのは想像できる。だからこそ順調を保ってほしいとも思う。こっち側は何もないから、来ちゃだめだ。
 本当に来年はどうなるんだろう。「平成最後の」という言葉が馬鹿らしく聞こえるのは、そこから沢山の時間が待っているからだろう。平成だって30年かかったんだ。次の新しい年号の、次もやってくるだろう? それは30年よりも長くなるのだろうか、それとも短くなるのか。
 その間にどんなことが起きるだろうか、この平成の振り返り番組を見ながら、ちょっと考えてみたけど、相変わらず災害と復興を繰り返すことと、個人情報がさらに他人と共有化されて、企業との労使による報酬だけじゃなく個人が個人に投資(というと相手に対してリターンを求めると思うけど、単にサバイブさせるための援助)する世界ぐらいしか私には見えないな。
 世の中の技術の進歩については、そのための前提になる基礎知識が無いから、想像すらできない。つまり知らないという事は予想さえ立てられない。無知は人間を殺す。皆様も日々の生活と生きるための知識を蓄えていってください。
 それとも、今の世界情勢が傾いて、最悪な状況になるとでも? いったい、誰がそんなこと願ってるの?
 ああ、そう。そうなんだ。それじゃあ、私はその日が来るまで寝て起きて寝てを繰り返して待ってます。

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