2019.01.04 day.35

 初詣に行きました。今日は都会の有名な神社ではなく、地元の神社です。私の地元の神社は少し見晴らしの良い所にあり、地元の人が参拝に訪れるそうです。
 しかし、そういうことを知ったのは最近の事で、私がこの神社の事を知ったのは数年前でした。街を散歩中に何気なくそこを訪れたときに思いのほか良い場所だと知り、それ以来、何か考え事をしたいときに訪れるようになりました。
 新年の祈願をするためには確かに良い場所ではあるんですが、なにぶん、人手の多い神社ではない為、御守りやおみくじなどを売っている場所は日没で閉まってしまう。それぐらい場所が険しい所にある。
 もとより御守りを買うために行くわけではないので、それでもいいのですが、やはり日没の時間のひっそりとした時間に行くととても良い。行くたびに街の明かりの綺麗さを感じることが出来ます。
 夜に行くと迷惑かつ危険な場所ではあるけれど、今日は夕暮れの街を見たかったのもあり、出かける事にしました。車では入ることができない場所にあるので、その手前の駐車場に車を止めて、歩いて神社に向かったのですが、ここ最近強めの運動をしていなかったためか、少し階段を上っただけで足がパンパンになってしまい、何度か立ち止まりそうになりました。
 確実に運動不足な私を呪いつつ、両足も心肺も悲鳴を上げているのを知りながら、神社へと急ぎます。遠くで夕方を告げる市街放送が流れているのを聞きながらも、何も考えることなく足を進めていく。
 何も考えず、というよりも、不安にならず、黙々と進められる物事というのはあるのでしょうか。もしそれをいま経験されているのだとしたら、それは人間として満たされている状態なのでしょうか。
 工場の機械みたいに流れ作業でやれることは、確かにもくもくと物事を進められそうです。しかし、時間の流れが遅く感じるとも言います。私にはうかがい知ることができない仕事ではありますが、それに従事されている方がいていろいろなものが成り立っているというのも理解はしています。
 あっという間に時間がたって、あっという間に進められる物事ってあるのでしょうか。気が付けば成果が出ているもの、投資とか? そこら辺の事は分かりませんが、お金がお金を生むと聞いたことはあります。
 一時期流行したものですが、フランスの経済学者のトマ・ピケティが過去の資料から導き出した、経済成長による労働者の給与収入よりも、資本家たちが投資したことによるリターンの方が大きいという文章は、おそらくお金がお金を生むという言葉を言い換えたものなのでしょう。
 資本家という敵を作るために多くの人に受け入れられた話ではありますが、これも現在を呻く人々にとって聞こえのいい言葉として存在しているのかもしません。現に、昔よりも世の中が豊かになっている事にはかわりないから。(家もないぐらい豊かじゃない人もいるという事は、さっきテレビで見ました。理解しています)
 何を考えていたんだっけ? そうだ神社から見える景色を見たかったのだ。神社に着けば、マジックアワーとも称されるような綺麗な夕焼け空が、街を包んでいました。あまりの綺麗さに思わずスマホのカメラで街を撮影してしまった。足が疲れ切っているけど、目的が果たせてよかった。
 どんな状況にあっても、どんな環境に分類されても、それでも粛々と生きていくしかないというのは、結局今年も変わらないと思います。平成は5月で終わるけれど、生活は続きます。ここから見える夕暮れと共に、それは昭和平成そしてその次も変わらないんだろうなと思いました。少なからず生きていくことが、それなりに保証されている世の中であってほしいですね。

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