2019.01.12 day.43

 この note でここ一ヶ月ほど日記しか書いていない。しかも値段を付けて一部を読めないようにしているという方法を用いているので、この日記に何の意味があるのか。私以外に意味は無いだろう。
 この日記を毎日見に来るような人(日記を書き始めて以降、フォローもされてないから誰も居ないんだろうけど)に説明すると、私の日記はこの無料部分の他に、無料部分と同じような文章が2つ収録されています。つまり、無料部分よりも多めに文章を書いているわけですが、そんな宣伝文句は果たして意味があるのだろうか。結局、お金を払って余計な文章を読んでいるという事にはならないだろうか。
 言葉というものは不思議なもので、非言語分野の活躍をしている人たちにとっては、言葉の質を高めるよりもその技術を高めた方が良く、その立ち位置に比例してその言葉に価値が増していく。
 私みたいな生産性のない人間が書く思考の迷宮のような文章よりも、有名な社長が書く「働く姿勢」のような言葉の方が、求められ読まれるわけです。これは有名になりたい人や有名を利用しようとする人たちが、その言葉を理解することで自分に得(この場合は読んでいて楽しいという感情も含みますが)になるように動いているからだろう。
 有名webライターもSNSユーザー然り、バズる才能があればその後についてくる言葉がどのようなものであっても構わなくなる。有名であればあるほどフォロワー数が増える理由はおそらくそういうだと思う。得であると盲目的に信じることも、また一つ生きる上では大切なものだ。
 有名人が起こしてしまう社会上道徳上の問題が発覚する度に、作品や成果と本人の性格は切り離されるべきだという認知的不協和のような抵抗が生まれるのも、そのような有名な人たちの言葉を理解したことによって得だと思っていたものが、実は自分にとって損だったのかもしれないという事を認めたくないゆえ行動だろう。
 私は作者の人間性を含めたうえで作品は生まれると考えている。作品や成果を検証するうえでは、その人本人の資質を切り離してはいけないし、その為に世間が作品や成果自体を憎んで否定してしまう事も否定はできないと考える。しかし、だからこそ作品や成果と人間の資質の存在、それ自体を認めなければならないのだ。
 という堅苦しい事を書いていても、私から発せられている以上、あまり価値はないです。もし同じような事を有名人が上手に言っていたら多くの人が共感すると思います。言葉というツールが全員に行き渡っている以上、大切なのは注目される技術です。

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