2019.01.05 day.36

 何してたっけ? ほら、もうこの調子だからね。何にも覚えていないの。土曜日だったという事しか覚えていないけど、しかし、生きていくしかない。頑張りましょう。
 Vtuberが好きになり、自身もVtuberとして活動しながら、他のVtuberの作品を紹介している人がいる。その人は、毎週、他のVtuberの為に生配信をして、たまに自身のVtuberとしての動画も作ったりするので、精力的に活動されていることだけは知っている。
 私は、私で「新人 Vtuber」と検索したり、そもそも動画を自体を作ったり、イラストを描いたり、文章を書いている人たちを日々追い続けているので、どうにもVtuber関連だけを追うということが出来ない。それだけをきちんと一定のクオリティで続けられる人を尊敬する。この日記だって、日によって出来不出来がまちまちなのだ(気になる人はぜひ数日分の日記を購入してみてください)
 その人は他の人の作品を紹介できる場所として、自分の時間と配信を使っているが、日々大量につくられる作品の中で、人の目に触れるという事がとても難しいとも言っている。自身のVtuberの活動もその人の目に触れさせるための一環なのだろう。
 他人に注目されるという事に強い欲望と忌避感をもつのは、それ自体が自分でコントロールできないからだろう。好きな時に好きなだけ他人から称賛されたり、無関心になってくれたりすれば、ここまでの労力はしないだろう。
 貴方がコントロールできない他人である以上、徒労に終わってしまうかもしれないことまでする。しかし知ってもらえるという事、共感されることは、それを上回るほどの喜びがあることも知っている。
 貴方が知らなくても、貴方以外の人が気づいてくれるかもしれない。他人は思いのほか多い、だからこそ、徒労に終わってしまうかもしれないことをやってしまう。続けるしかないという選択肢が残ってしまう。
 自分で選んでしまったからこそ、辞めるに辞められなくなっているのかもしれない。諦めるという選択肢がないまま、そのまま放り出されてしまったものたちもたくさん見てきたように思う。
 せめて作品を作る人々、もしくは残された作品が、この終わりの見えない活動の末に、私や私以外の誰かの目に留まってくれるといいのだけれど、気づいてもらえたとしても残された作品だけでは次第に忘れ去られてしまう。
 結局、常に作品を作り続けなければならないことに変わりはなく、作品を作る人たちは気づかれるように行動して、気づかれた後も堅実にやっていくしかない。当たり前の答えになってしまって、自分でもがっかりしている。今日の日記は不出来です。

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