2018年12月28日(金曜日) 日記28日目

 回転寿司に行きました。レーンに流れてくるさまざまな寿司を家族で食べ続けるという1時間半の作業でした。(人の金で食べる寿司は美味しいのは家族であっても同じ)
 流れてくる寿司を必死になって食べてしまうのはなぜでだろう。まぐろ、甘エビ、カルビ、イカ、ネギトロ、サーモン……。小食に抑えていたはずなのに、自分でも思いもしない程の皿数を積み上げていました。
 寿司の大きさが小さくなったということもあるかもしれない。今の回転寿司はシャリもネタも小さくなっている。そういわれればそうかもしれない。そもそも私は1皿2貫の寿司を10皿も食べられるはずがなかった。
 子供の時に大食いの番組で小柄な女性が回転寿司の皿を沢山積み上げているのを見て面白がっていたのは、どういう感情だったのだろう。大食いでは定番の食べ物であったわんこそばも面白がって見ていたな。わんこそばは食と音楽のコラボレーションだと思う。
 わんこそばで思うのは、一番儲けたのはそば業者でもわんこそばやでもなく、お椀業者だなと今更思ったのですが、あれぐらいでは利益なんて出ないか。わんこそばの文化が、世の中の大衆に不謹慎な食行為だと思われませんように。私も一度はわんこそばを体験してみたいんだ。
 違う。回転寿司の話。儲けようとしているという向きも、いろいろなネタを沢山食べられるという向きもどちらも正しいように思う。食べたいものを食べたい量だけ食べるというのは、グルマンであればその欲求は強くなると思う。
 そこに利益を乗っけようとすることに反発するのだろうけど、回転寿司は1皿で、1皿には1ネタというというのが決まりだからね。平成の次の年号には、お客の歪んだ要望をかなえようとして、お皿を1皿取ってから好きなネタを2つ選ぶようなネタ選び放題の仕組みができあがるのかもしれない。あとで店員、もしくは高性能な機会が2ネタ握られた寿司を持ってくる。お皿は形式的に積みあがるだけで、醤油や寿司で汚れもしないからその方がエコかもしれない。いや、お皿を積み上げるのもエコじゃないから、皿は小さくなって最終的には板っ切れを積み上げるようになるのかもしれない。
 だとしたらもはや普通の寿司と変わらないけど、人は雰囲気と仕組みがあれば大抵のことは許容してしまうものだし、回転寿司はネタをレールに回さなくたって生き延びると思う。食べ放題よ滅びるなかれ、ドリンクバーよ永遠に。
 なんか2日連続で未来の事を書いているような気がする。年末だからね。それぐらい許してください。回転寿司は美味しかった。あまりにもたくさん食べたから、血糖値が上がりすぎて気絶しそうなぐらいでした。(私も歳ですね、気を付けます)

ここから先は

2,781字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?