2019.01.10 day.41

 おそらく指先が氷になってしまったんじゃないかと思う。キーボードを叩く指先にはプラスチックの固い感触と、少し伸びた爪にぶつかる刻印の凹凸だけしか残っていない。今日の文章を打つためだけに動く指は、頭と繋がっただけの棒っきれになっているんじゃないか。
 今日は本当に寒かった。私の住んでいるところは雪は降らないけれど、それでも夜は氷点下の気温になるときがある。仕事帰りに原付のシートにうっすらと霜が降りているのを、手で払いながら帰ることもあった。
 朝、目が覚めて外を見ると、一面に霜が降っている。子供の頃は寒さで嫌な気分になりながらも、霜の降りた草を踏みつけ、その足跡を眺めて楽しんでいる時もあったのに、今ではただただ寒いという表現にしか見えなくなっている。
 皮膚感覚でも寒いのは十分に分かっているのに、視覚でも寒さを伝えてくるのはなぜなのかと恨めしい気持ちになるが、視覚が無くても寒いものは寒い。おそらく皮膚感覚が無くても寒い中に放り込まれれば低体温症になって死ぬ。本能に訴えかけている器官があるから、寒さも暑さも感じることができる。
 もしかしたら池に氷が張っているかもしれない。けどここ数年は自分で確認しに池に行ったりはしなくなった。行動範囲に池が無いのもあるが、池という人工的に作られたもの自体が少なくなっているように思う。昔は公園や少し奥まった林の中にはこじんまりと池が人の手で作られていたはずだが、最近はそういう人工池は作らなくなっているように思う。
 事故などのリスクに対応できないし、そもそも水質自体が管理できなくなりつつあるのも現実なのかもしれない。最近のテレビ番組で人工池の水を抜くという企画があるが、池の水を抜かれるまで池の中の事なんか誰も気にしていない。
 けれど池は誰かが気にしようとしなかろうとそこに存在する。春には桜の花がその色とともに初々しく集まり、夏には恐れるほど蚊柱が立ち上り、秋には落ち葉が風と戯れて水面を渡り、冬には時を止めたかのように氷が張り付いている。日本の四季に合わせて、池はその姿を変える。
 おそらく池に氷は張っているだろう。いまの子供たちもそれを透かしたり、地面に叩きつけて割ったりしながら、学校に向かっているのだろうか。それとも雑菌交じりの水を触るのは控えるように親から言われているのだろうか。どちらだとしても、人工池の水は風雨にさらされながらそこにあり続ける。

ここから先は

2,264字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?