2019.01.31 day.62

 父親に美術館に行こうと言われたのでついていくことにした。向かった先は『道の駅 きょなん』の中にある「菱川師宣記念館」で父は常設展示されている菱川師宣ではなくて、特別展の東郷青児の方を見に行きたかったらしい。
 車で数時間かけて海沿いの道を走る。空はあいにくの曇り空で時折雨が降るようなこともあったが、隣に広がる海は穏やかで鉛色の海面が水平線の先まで荒れることなく続いている。
 海沿いの街なのだから観光名所であってもよさそうなのに、駐車場をチェーンでふさいでいる民宿。お土産として生魚が大量に積まれたちいさな小屋、潰れてから数年以上経つのに取り壊されることなくすっかりツタに覆われてしまったガソリンスタンドなどなど……。見る人が見ればとても旅情を感じさせるような風景が窓の外を通り過ぎていく。
 菱川師宣記念館は思ったよりも小さかった。この地で生まれたのでその業績を知らしめるために建てたと公式サイトに書かれていたが、あくまでも資料を保存展示するための場所というよりかは、この町に人を呼び込むために作った場所なのだろう。
 現に展示されているもののいくつかは複製として飾られているものもあり、本物はやはり都会の美術館に保存されているらしい。私も都会で菱川師宣の特別展示を見たことがある。だから本当は菱川師宣の展覧会を見るのは2回目になるが、父には言わなかった。
 多色刷り木版画の作り方という展示があり、実際の色ごとに彫られた木版(江戸時代に使われたものであるかは分からない)とその順番に重ね刷られた図版が並べられていたので、それを見ることができたのがよかった。
 題材は赤ちゃんに授乳する女の木版画で、胸と女性の唇のたった小さい数か所を赤色で刷るためだけにわざわざ木版を一枚削りだしている。しかしその赤色が当時の人にとっては重要な部分なのかもしれない。昔から構図と配色が大衆にとっては大切だったのがよくわかる展示だった。
 東郷青児特別展は建物の都合上か菱川師宣の展示の途中にあった。父はそれらを一枚ずつ見ながらそのたびに感想を私に話していた。飾られていた絵はほぼ晩年の油彩が多く、若いころのスケッチは少なかった。どちらかと言えば昔のスケッチの方が好きだったのだが、知られているのは晩年の画風なので当然と言えば当然なのかもしれない。それにこの1周1時間もかからないような建物の大きさであるなら仕方ないように思う。
 ところで菱川師宣というのは浮世絵師であり、「見返り美人図」を描いた人としても知られている。もともとは古典小説の挿絵などを描く作家だったのが、当世の吉原の遊女や歌舞伎の役者のことなどを小説の題材に扱うようになる。
 大衆は世の中の流行を知るためにその本を買い求めるようになるが、そのうち流行りの人物が描かれている挿絵自体が求められるようになり、有名人の一枚絵だけが売られるようになっていった。これが浮世絵の始まりとされている。
 (参考:菱川師宣 - wikipedia)
 建物を出るとすぐ近くに海が広がっている。ウミネコなのか一羽の鳥が空中で制止するかのように海風に戯れているのが見えたので、写真を撮ろうと思ったのだがスマホを用意している間にどこかに行ってしまった。
 目的を果たした後は海沿いの道ではなく山道を通っていくことになったのだが、そこらへんはあまり目立ったものはないので割愛する。久しぶりに見た海は鉛色をした穏やかな水面だった。

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