何を語るかも大事だけど、何から語るかも大事よね。

もはや俺は何に追い立てられてこのnoteを更新し続けているのかわからなくなってきた。。。
筆が乗ってるときは軽々と書けるのに、書きたいものが見当たらないときの苦痛はけっこうヤバい。と、どこぞの旅館に缶詰にされている有名小説家のようなことを言ってみる。

と、いうわけでコレと言って主張したいこともないので、ここはひとつ有名小説家の力を借りてみようと思う。

今回は、小説の書き出しについて。

まあ、いわゆる小説の最初の一文なんだけど、これってけっこう大事で、読む気になるかどうか、物語に引き込まれるかどうかの重要な要素になっていると俺は思っています。
有名なところでいえば、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」とか「吾輩は猫である。名前はまだない」とかですかね。

個人的には川端康成のほうが好き。

講釈垂れるのが好きな人から言わせれば、雪国の冒頭とかは小説の世界をひと言で言い表しているとか色々あるみたいですが、単純に引き込まれる言葉の力があると思います。というか、それだけでいいと思う。講釈なんざナンセンス。

ということで、俺の好きな小説の書き出しをいくつか紹介していきたいと思います。さして読書家でもないので、けっこう普通に有名小説出てきます。
つまらんかもしれんけど、読んでちょうよ?

1:朝、目が覚めると泣いていた。いつものことだ。

はい、なんの小説でしょうか?そうです、セカチューです。
たぶん俺が大学入りたてのころに原作小説が出て、暇を持て余したヤレヤレ系大学生の俺が初めて読んだ本です。
今となってはこういう恋愛小説は苦手とするところですが、この一文は今でも大好きです。
ただ泣いているのではなく、目が覚めると自然と泣いている。しかもそれがいつものことだというのである。感情を大きく揺さぶられる涙ではなく、心に刻まれて、当時の激しい感情が色褪せてもなお忘れることを許さない涙であることがよくわかる。
淡々としている言葉が逆に深く長い悲しみがあることを想起させる、と思う。この先にいったいどんな悲しい物語があるのか引き込まれずにいられない名文ではないだろうか。

2:春が二階から落ちてきた。

今やメディアミックスで東野圭吾と並ぶんじゃない?ってぐらいの大作家となった伊坂幸太郎の、重力ピエロの書き出し。
まあ、とりあえず「お?」ってなるよね?どういう暗喩だろう?って思うよね?その時点で作者の勝ちだと思う。そして、どういう暗喩だろう?って考えた読者をあざ笑うからのようにこう続くのだ。

私がそう言うと、聞いた相手は大抵、嫌な顔をする。
気取った言い回しだと非難し、奇をてらった比喩だと勘違いをする。
そうでなければ、
「四季は突然空から降ってくるものなんかじゃないよ」
と哀れみの目で、教えてくれる。

正解は単純に春は弟の名前であり、弟が二階から落ちてきたという内容。
ちょっと皮肉が聞いたオチになるけど、それ抜きでも目を奪われる書き出しだと思う。あと、単純に語感が好き。降りてきたじゃなく落ちてきたっていうのも好き。

3:完璧な文章などといったものは存在しない。 完璧な絶望が存在しないようにね

ヤレヤレ系大学生を気取っていたものとしては触れられずにはいられない、ご存じノーベル文学賞がいつまでも取れない村上春樹先生のデビュー作「風の歌を聴け」の冒頭。

この言葉はダンス・ダンス・ダンスに登場する文化的雪かきに匹敵するくらいに好きな言葉だ。
この出だし、サブカル好きな人なら誰でも好きでしょ?

ちなみにこの後も長々と文章についての講釈が続くわけだが、ほぼほぼ本筋の物語とは関係がない。文章を自己療養の試みと言っていたり、なにかしらの絶望を抱えていることはなんとなく推察される。
ここから始まる鼠を軸にした物語は全部好き。

他にもカミュ「異邦人」の「今朝、ママンが死んだ」っていう訳文も好きだし、夢野久作「ドグラ・マグラ」の「…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………」という始まりも好き。(正確には胎児の歌があるけど…)

いかがでしたでしょうか。
書き出しってホント大事だと思いません?
それでいうと俺の冒頭の書き出しは駄作も駄作ですね。
でも、いいんです。完璧な文章なんて存在しないんだから。

おあとがよろしいようで。

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