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ひとりっ子的世界

私はホールケーキを食べたことがない。

ちゃんと説明すると、ひとりっ子として生まれ育ち家族構成は「父・母・私」の3人だったので、誕生日などのお祝いごとで食べるケーキは個々の独立したケーキだった。多分お邪魔した友達の家でおやつにいただいたことはあると思うのだが、それだって提供されるのは切り分けられた後の姿である。よって、私の心象風景にホールケーキはない。ホールケーキを3等分したら1人120°になってしまう。ちょっと多すぎる。

小学生のとき、約30人クラスの同級生にはひとりっ子が私ともう1人しかいなかった。気が強い方だったのでそれを理由にいじめられることはなかったが、「ひとりっ子ってワガママなんだよね」とはよく言われた。多分兄弟持ちたちの「ひとりっ子は何も我慢することがなくていいわね」という子供らしい単純な発想から来ている言葉だと思うが、「家族持ち=まともな人」な訳では決してないように、兄弟持ちでもワガママな人間はごまんといる。

でも、反論する言葉を持たなかった子供時分では(なんせその狭い世界ではマイノリティだったから)、周りの友達のように兄弟がほしかった。子供ができる仕組みもよく分かってなかったので、「お兄ちゃんがほしい!」と無茶を言って親を困らせた。なんで困っているのかは分からなかったが。

ひとりっ子の特徴は色々あるが、ひとつには「自分への関心が薄く、周りの人をよく観察している。しかも一歩引いて」というものがあると思う。自我形成の際に比較対象となる年齢の近い他者がいなかった影響で、身近な大人たちをよく見て行動を学んでいくというパターンが多い。学校には同年代の友達がいるが、家に帰ればそこは大人たちの世界である。そして放っておかれる時間も意外と長いので、本や好きなこと(自分の世界)にすんなり没入できる。その一方で「人を観察しすぎて即時の自己主張(主にケンカ)が下手」「なかなか心を開かない」「集団行動が苦手」というのもあるが、年齢を重ねながら上手に世間と関わっていけば良い。

そこで挙げたいのが村上春樹氏と三谷幸喜氏である。世代は違うが、2人は共に日本を代表する作家と脚本家である。私は両者ともとても好きで(そんな人はそれこそごまんといるはずだが)、その理由は徹底した人間観察と完成された世界観、そして人間同士の絶妙な距離感である。そこにはひとりっ子的集中力とある意味での覆し難い孤独、そして警戒心の強さをカモフラージュするための外へ向けたユーモアがいつも流れている。両者の作品(小説やお芝居)ももちろん好きだが、1番私が落ち着くのは彼らのエッセイを読んでいる時である。ひとつの部屋に集まっていながら各々が机に向かって好きなことをしているような、落ち着いた自由さを感じる。

両氏にはたまたま「父性の不在」という共通のテーマがあるのだが、それはまた別のお話し…

お読みいただきありがとうございました。今日が良い日でありますように。