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美味しいお蕎麦とは一体なんなのか

一体なんなのか?皆さんは明言できますか?私はできません。お蕎麦好きですが、いわゆる「蕎麦の香り」さえ分かってない可能性がある。最近連続してお蕎麦を食べてようやく「これかな?」と思うようになった程度。そして人から「美味しいお蕎麦屋さんがあった」と聞くと、往々にして「いやあそこの天ぷらが美味くてね」となる。違う、そうじゃない。

美味しいお蕎麦は語れないけど、好きなお蕎麦の条件はある。①細麺であること②適量であること③もりそばなら800円以下であること、です。いきなり価格の話しになっちゃいましたが仕方ない。ラーメンでも1000円超えは嫌だ。そして私は無類の麺好きなので、麺は麺のアイデンティティ的にもちゃんとすすりたい。あんまりモグモグしたくない。気持ちよくすすっていて、「あれーあっという間に無くなっちゃった」と感じるか感じないか(できれば感じたくない)くらいの量が望ましい。あと付け加えるなら④お店のBGMがうるさくないことです。お蕎麦関係ないか。

美味しいお蕎麦とはなんなのか?もしかしてみんなあんまりよく分かってないのではなかろうか。だからこそこんなに「脱サラ蕎麦屋」が乱立しているのでは。みんな「うーん、こうじゃないんだよ」と思っているが故に、「よし俺がいっちょ作ってやるか」みたいになってしまうんじゃないだろうか。だいたい脱サラ蕎麦屋の店主は一家言ありそうな顔をしている。というか一家言の塊みたいな顔をしている。できればそういう人の顔を見ながら食事はしたくない。

うどんは腰強め系から柔らか系まで幅広く存在が許されているのに、お蕎麦についてはあまりその振れ幅がない。そういうストイックさも「うーん、こうじゃないんだよ」を産む一因なのかもしれない。うどんは「みんな違ってみんないい」的なおおらかさがあるが、お蕎麦は「あなたとは違うんです」的な他者を拒む頑迷さを感じる。

こういう時は「まずいお蕎麦とは」と逆説的に考えると良い。あれは忘れもしない私が子供のころ、祖母がお昼にお蕎麦を出してくれたことがあった。スーパーものぐさだった祖母は、袋のゆで蕎麦をレンジでチンして、その形状のまま「これでええんよ」と言って丼に注いだ薄いだし汁の中にドボンと入れた。だし汁に沈む四角いお蕎麦。温まってはいるがカチカチで、箸でつついてもほぐれやしない。別日に同じものを食べさせられた母は「信じられない(くらいまずい)」と言っていた。どうやって食べ終えたかまでは思い出せない。

食べ物の話しは、残念ながらだいたい不味いものについての方が面白い。奇しくもお彼岸である。先祖に思いを馳せて。

お読みいただきありがとうございました。今日が良い日でありますように。