「星降る町の物語」23章 炎
岩の竜を退治してから、どれくらい洞窟の中を進んだでしょうか。
3人は、洞窟の突き当りに立っていました。
目の前に現れたのは、巨大な扉です。
黒に近い緋色の上に、黄金に輝く唐草模様が一面に施されています。
あまりの美しさに、アイリスは思わずため息をつきました。
そんなアイリスの隣から、イフェイオンが一歩前へ出ると、扉に手をかけます。
「おいおいおい、ちょっと待て! いきなり開ける奴がいるかよ」
あわてて、リューがその手を押さえました。
「いつまでもここにいたって、仕方がないよ。早く『赤の宝玉』を取ってこないと」
「だ、だからって……ノックくらいしないとダメよ」
アイリスがそう言うと、リューはあきれたように笑いました。
「ばーか。お宝をいただいたら用はないんだから、こっそり忍び込めばいいんだって」
「そんなの、まるで泥棒じゃない」
「俺、泥棒なんだけど」
「あっ……!」
真っ赤になったアイリスと、いつものように笑い転げているリュー。
その横をさっさと通り過ぎると、イフェイオンは扉の取っ手をぐいっと引っ張ってしまいました。
「あーあ、開けちゃったぜ」
あきれたように、リューが苦笑いを浮かべています。
驚いて目を丸くしたアイリスに、安心させるようにイフェイオンは言いました。
「大丈夫。もし誰かが襲ってきたら、僕が倒す」
「……泥棒よりタチ悪くないか?」
そうつぶやきながらも、リューはアイリスの背中をぽんと叩いて言いました。
「ま、開けちまったもんはしょうがねぇよな。中に入ってみますか」
中は天井が高く、ここが洞窟とは思えないほど豪華な部屋でした。
まるで中世貴族の部屋のような、きらびやかで上品な家具。
奥には小さな池もあり、優しい色の小さな花たちが咲き乱れています。
「本当に、おとぎ話の宮殿みたい」
アイリスが、そう言ったときでした。
「誰の許しを得て、ここへ足を踏み入れた?」
背後から、重い声がしました。
イフェイオンはアイリスを背中にかばいながら、鋭く振り返りました。
高い天井いっぱいまである、巨大な体。
アイリスの背丈ほどもある、鋭いツメ。
真っ赤に輝くうろこに覆われた、神々しいばかりの姿。
この部屋の主――炎の龍が、3人を見下ろしていました。
深い翠色の目が、ぎょろりとアイリスたちをにらみつけます。
「どうせ悪魔の使いか、盗人か……いずれにせよ、私の『石』を狙ってきたのであろう。愚か者め、これは世界を守るための『石』だ。とくに小娘、貴様のような心の醜い人間が、やすやすと手にして良いものではない!」
その言葉に、アイリスは息を飲みました。
炎の龍は、アイリスの正体を知っているのです――誰にも知られたくない、醜い心の姿を。
「アイリスの心が醜いだと!? 勝手なことばっか言うんじゃねえぞ!」
リューが短剣を構えました。
そんなもので歯が立つ相手ではありません。
ですが、リューはひるむことなく言いました。
「俺は『ただの盗人』だ。汚れてると言われても仕方ないし、そんなの平気だよ。だけどな、こいつは自分の危険も省みずに、この世界を救うために戦ってくれてるんだ! お前にそんなことを言われる筋合いはないんだよ!」
イフェイオンも、まっすぐサーベルを構えました。
「アイリスは、僕に大切なことを教えてくれる。心が醜いなんて、二度と言わせない」
真紅の龍は、大声で笑いました。
まるで地面が揺れるような、重い重い声です。
「まったく愚かな奴らよ! 剣士よ、貴様は知らぬのだ。この小娘が『現実世界』で、どのような感情を抱いて生きているのか――黒猫よ。貴様とて、この世界に長く居すぎて見えなくなっているのだ。人間とは醜いものよ。思い出せ、貴様の左目を奪ったのは、ほかでもない人間ではないか」
「もう、やめて……」
アイリスは、がたがたと震える自分の肩を抱きしめて言いました。
「何だ、小娘。聞こえぬぞ? 望みがあるなら言うてみよ。貴様の醜い命と引き換えに、叶えてやるかもしれんぞ?」
龍は、その翠の瞳を細めて、笑いました。
アイリスは言いました。
「お願いです。『赤の宝玉』を、イフェイオンに渡してください。勝手にここへ入ってきたことも、私が……私なんかが『読者』であることも謝ります。お願いです、この世界を助けるために……」
そのときです。
イフェイオンが、アイリスをかばうように立ち、彼女の言葉を遮って言いました。
「アイリスを殺すなんて、絶対に許さない。どうしてもそうするというのなら、僕はお前と戦う。たとえ『宝玉』が手に入らなくても、僕はお前を倒す」
リューも、真紅の龍に向かって言いました。
「分かってないのはお前のほうだ。人間ってのはな、いろいろ居るんだよ!」
そして、アイリスの髪を軽く引っ張って、言いました。
「お前もまだ、ぜんぜん分かってないみたいだな。お前が『読者』なんだよ。他の誰にも代わりなんてできないんだ。生きてきた世界が違っても、いずれ帰らなければならないとしても、忘れるな――俺たちは『仲間』だ」
太い声が、恐ろしく響きました。
「愚かで醜い小娘と、その仲間どもよ! ならばせめて、我が炎で浄化してやろう! 自分も救えぬ愚か者が、この世界を救おうなどと思い上がったことを後悔するがいい!」
龍は、口をがばっと開けました。
その奥から灼熱の息が、炎となって襲ってきました。
「きゃあああ!」
体が真っ赤に焼けていきます。
熱と痛みが思考を奪っていきます。
(私のせいだ……)
アイリスの頬を、涙がひとすじ、こぼれ落ちました。
(ごめんなさい、みんな。私を守ってくれたのに、こんなことになってしまった)
視界の隅で、イフェイオンとリューの体が燃えているのが見えました。
(イフェイオン、リュー……)
アイリスは、悔しくて悔しくて、仕方がありませんでした。
(私、何もできなかった。ヘスペランサが、この世界を救うために私を呼んでくれたのに……)
涙がぽろぽろとこぼれていきます。
右手の小指で、指輪がきらりと光りました。
まるで、そんなアイリスを励ますように。
(そうだ、すべてはここから始まったんだ。あの日、ヘスペランサが歌ってくれた歌……)
―――ほんとうは、ほんとう?
その歌が、頭の中に響いたときでした。
アイリスは、かすかな違和感を感じました。
メラメラと燃えさかる炎。
豪奢な部屋が、業火に包まれています。
イフェイオンとリューも、赤い炎に焼かれてもがいています。
(でも、おかしい……この違和感は何?)
―――大丈夫、大丈夫。
(おちつけ、おちつけ。よくまわりを見るんだ。この違和感の正体は、一体何?)
小さな池のまわり。
色とりどりの花が咲いています。
この灼熱の炎の中で、しおれることもなく。
―――アイリスは、きっと見つけられる。
アイリスは叫びました。
「違う! この炎は『にせもの』よ! 私たちは幻を見て、熱いと思っているだけ! みんな、しっかりして!」
ふっと、炎はあとかたもなく消えました。
部屋のどこにも、こげたあとなどありません。
もう、熱くありません。
やけどもしていません。
リューとイフェイオンも、あっけにとられています。
優しい色の花は、かすかにゆれながら、みずみずしく咲き誇っていました。
「あらら、もうバレちゃった」
という男性の声がして、アイリスは振り返りました。
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