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名探偵は助手に愛されていてほしい

……という話。いや、必ずしも恋愛的な意味ではなく。


推理小説の名探偵には、大体助手、もしくは相棒のようなキャラクターがいることが多いと思います。
決して多くはない私の手持ちの推理小説を見ただけでも「名探偵」が登場する作品には、大体「助手」や「相棒」がいます。

例えば世界的に有名なホームズとワトソン、ポアロとヘイスティングズ。
日本の推理小説でいえば『カラット探偵事務所の事件簿』に出てくる古谷さんと井上さん。彼らは職業としての「探偵と助手」です(なお、常に探偵業務があるとは限らない模様)。
それから島田さんが登場する《館シリーズ》の江南くんや、江神さんが登場する《学生アリスシリーズ》の有栖くんたち、シリーズ物ではないですが、美少女名探偵時任さんが登場する『袋小路くんは今日もクローズドサークルにいる』の袋小路くん。彼らは職業として探偵や探偵助手をやっているわけではないですが、名探偵が謎を解明するまでを見届けるポジションを「探偵の助手もしくは相棒」と定義すれば、江南くんたちも立派な名探偵の助手もしくは相棒といえるのではないでしょうか(ストーリー展開によっては当てはまるか微妙な作品もあるのでは? などという細かいことはおいておきます)。

で。今になって「好きな推理小説の名探偵、大体この助手(または相棒)に慕われているのでは?」という事実に気が付きました。子どもの頃から推理小説読んでいながら、今まで気付かなかったのか自分。

袋小路くんはきっと時任さんに(恋愛的な意味かどうかはおいといて)好意的な感情をいだいているでしょう。だからこそ第三章の時任さんを傷付けかねない発言をした相手には激昂したし、終章の時任さんに対してはああいう振る舞いをしたんだと思います(詳しく描写するとネタバレになる可能性があるので詳しくはいいませんが)。
有栖くんたち後輩も、江神さんのことを慕っていることは間違いありません。『江神二郎の洞察』に「(織田先輩と望月先輩が)部長を慕い深く信頼していることは明らかだった」とあるくらいです。
江南くんも、『時計館の殺人』のプロローグを読むと、たとえ島田さんが辛い事件の記憶と結びつく存在であったとしても、慕わしく思っているのが伝わってきます。
井上さんも、古谷さんの機械音痴やダジャレにうんざりしつつ(たまにダジャレに対する殺意を抑え込みつつ)、なんだかんだで名探偵の古谷さんのことを信頼してるし好きなんだろうなあというのが本文を読めばわかります…………人が死なない《日常の謎》モノの推理小説に出てくる「名探偵の助手」が一番名探偵相手に殺意を抱いているのなんなんだ。

ヘイスティングズもポアロにうんざりして、イラっとする場面が出てきますが、それでもポアロの友人であることをやめませんでした。
ワトソンは……シャーロック・ホームズの小説、読んだときの記憶がなくなっているので断言はできませんが、妻と別離した後、再び行動を共にするぐらいです。きっとホームズに対して好感情を持っていたのではないでしょうか。

(ホームズは申し訳ないことに、ちょっと読んだときの記憶がないので例外ですが)私が好きな「名探偵と助手」たちは、助手が名探偵のこと、なんやかんやで慕っているように見えるんです。
例え「名探偵」が名探偵でなかったとしても。名探偵としての頭脳を発揮する場面に「助手」が出くわさなかったとしても。「助手」はきっと「名探偵」を慕い、友人なり、仕事仲間なり、先輩後輩なり、良好な関係を築いているのではないか。そう思わせてくれる関係性が好きなんです。

たまに「助手」が「名探偵」の思考回路や言動についていけず、げんなりしたりうんざりしたりしたとしても、最終的には「でもこの人、やっぱり名探偵だなあ」という尊敬と親愛がある(ように私には見える)。それが私が好きな「名探偵と助手」の関係性なんです。

……というのを何故今になって言い出したのかといえば、今現在進行形で『メインテーマは殺人』を読んでいるからなんですよね。

まだ途中までしか読んでいませんが、『メインテーマは殺人』にも名探偵であるホーソーンと、彼の行動を見届け記録する、助手ポジションの役割を担うアンソニー(※作者と同名の小説家キャラ)が登場します。が。まあアンソニーから見たホーソーンの印象が最悪だこと最悪だこと。

アンソニー目線で物語が進む上に、そのアンソニーがホーソーンに抱く感情の中に「親愛」の「し」の字もないものだから、正直なかなか読み進められないという。
これが「アイツはクソみたいな奴なんだけど、どうしても惹かれてやまない、人を魅了する部分がある」というのが伝わる描写があればまだ良かったと思うのですが、今のところ、私にとってそれを感じられる描写はゼロ。語り手であるアンソニーすらホーソーンに魅力を感じているように見えないのに、読者である私はホーソーンにどう魅力を感じろと……。

『メインテーマは殺人』の作中の謎はとても魅力的です。文章も翻訳ものにしては自然に読めると思います(これは翻訳者の力量もあるのかもしれません)。多くの人が「面白い!」と絶賛する理由もよくわかりますし、なにより推理小説で人が殺されてしまった以上(?)最後まで読むぞ! という意思はあります。
けれど、例えばポアロが、古谷さんが、島田さんが。江神部長が、時任さんが、謎を解決しているのを助手たちと一緒に見届けるのに比べて、そこまで「早く続きが読みたい!」という意欲が起きないというのもまた事実。

考えてみれば『メインテーマは殺人』を読もうと思ったきっかけである『カササギ殺人事件』には、探偵を慕う助手であるジェイムズ・フレイザーが出てきますし……だから『カササギ殺人事件』は、上下巻であるにもかかわらず、苦もなく読めたのでは……?

『メインテーマは殺人』で初めて「名探偵に対する好感度ゼロの助手」というものに遭遇して初めて「ああ、私が好きな『名探偵』は助手に愛されていたんだなあ」ということに気が付いたという。そういう話。

一応言っておくと『メインテーマは殺人』のストーリーそのものはつまらないとかではないです。むしろ、こんなにキャラクターに対して愛着が湧かない読者(=私)相手に「続きは気になるし、ネタバレサイトで犯人だけ調べるのは嫌だ」と思わせてくれるだけの面白さはあると思います。

あと私がそういう関係性が好きではないというだけで「好感度ゼロ……を通り越してむしろマイナスなのに、どうしても彼と行動を共にしてしまう」みたいな関係性が好きな人は好きだと思います。多分。それに、まだ『メインテーマは殺人』を途中までしか読んでないので今後この二人の関係性がどうなるかは私にもわからないですし。この後、事件を通して友情が芽生えるのかもしれない(し、芽生えないかもしれない)。


でもやっぱり私は、なんやかんやいって助手から慕われてることが端々でわかる名探偵が好きなんだ。うん。

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