見出し画像

「丁寧な暮らし」パーソナリティをみとめた

肩まであった髪をばっさり切った。襟足は刈り上げるくらいの、無印良品の広告に出てきそうなマッシュショート。結構信念を持って切ったのでメモしておく。

私は、一言で表すなら「丁寧な暮らし」みたいな顔をしている。北欧風のインテリアや、ロングスカートや、ナチュラルメイクが似合いそうで、Diorとか、ハイヒールとか、ピンク色は絶対似合わない顔。

Diorが似合わないことに特に執着はない。でも「丁寧な暮らし」の人なんだな、とジャンル分けして見られることはすごく嫌で、髪を伸ばして変な色にしたり、派手なデザインの服を着たり、似合う範囲で、ギリギリ「丁寧な暮らし」にならないよう抵抗してきた。


とはいえ私の顔の「丁寧な暮らし」力はとても高いので、どんな格好をするのかに関係なく、周りから「丁寧な暮らし」の人だと思って扱われることが多い。例えば、繊細な作業や気持ちを大切にする仕事にアサインされる。プレゼントにはオーガニックな食品や化粧品をもらう。クラブと合コンには誘われないけど、カフェと美術館に行く時は声をかけられる。

他人にそう思われているというだけじゃなくて、実際に私の性格も「丁寧な暮らし」的傾向があるんだと思う。基本的に他人には笑顔で接する。物欲も食欲も性欲もあまりない。あまり冗談は言わない。おしゃべりはそんなにうまくない。

そして、自粛期間中に気づいたのだが、誰に見せるわけでもない生活がどんどん「丁寧な暮らし」に近づいてきている。趣味はフィルムカメラと、小説を読むこと。毎週花を一輪買い、飲み終わったウイスキーの瓶にさしている。散歩してカフェラテを買うのが最近の楽しみ。


これを「丁寧な暮らし」と呼ばずして何というのだろう。

絶対嫌だ、くくられたくないと思って避けようとしてきた「丁寧な暮らし」は、実は私にとって心地いい在り方なのかもしれないと思った。

「丁寧な暮らし」パーソナリティを認めてしまえば、似合わないブランドの中からギリギリ似合う服を探して着るような面倒くささから解放される。価値観や行動指針をいちいちゼロから考える必要なく、「私らしい」選択ができる。

自分に向いたジャンルに迎合して生きる方が、垢抜けて見えるのかもしれないと思いはじめた。他人からの見られ方と、自分の振る舞い方をすり合わせて、そのトーン&マナーを守って行動すること。多分、それがブランディングってやつな気がする。よくわかんないけど。


みたいなことを考えて、髪をばっさり切った。「ナチュラル」なマッシュショート。思った通り私の顔に似合っていて、持っている服には微妙に似合わない。

大人になったなと思う。なれる範囲の中から、なりたい私を見つける諦めがついた。とはいえ嫌だとか、負けたとかいう気持ちはなくて、結構前向きに「丁寧な暮らし」的パーソナリティで生きる自分を選びとった気がしている。家業を継ぐってこんな気持ちかもしれない。

今は、クローゼットの中身と、部屋のインテリアと、ポーチの中身を徐々に変えている。緊急事態宣言が解除されたら、無印良品に行ってリネンのシャツを買うつもりだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?