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英語が話せることの真の価値

英語が話せることの価値について考えてみたいと思います。                                                         この20年の間には、日本における英語の価値(位置づけ)に大きな変化があったと感じています。

私が新卒で入社した23年前は、英語が話せることには大きな価値がありました。

私がイギリスに留学していた90年代、バブル崩壊後とはいえ、日本は依然として国力も豊かで、世界的にも日本経済の存在感は大きなものがありました。

日本からイギリスに来た私を含む多くの留学生は、英語の勉強に重きを置いて留学していました。留学を終えて日本に帰国した時に、英語が話せることが大きなアドバンテージになっていたのです。日本の国力、産業レベルが高かったため、世界的にもそれだけで通用していた面があるのです。


ところが、当時私の学校に、他のアジアやヨーロッパの小国から来ていた留学生たちは明らかに事情が違っていました。

彼らは一様にして、自分たちの国は小さいので、英語は生きるために必要、と言いい、英語が話せるのはあたりまえで、そこにいかに技術や専門知識を身につけていくかが大切、という話をしていました。

そして事実、彼らはとても熱心に専門分野の勉強に打ち込んでいました。                   現在は母国に帰った同級生の多くは、それぞれの専門分野を活かしグローバルな活躍を見せています。


残念ながらバブルが崩壊してからこの30年の間に、世界における日本の国力は相対的に低下し、経済やビジネスの面でも、もっと世界と積極的に関わっていくことが求められている時代になりました。

この20年で英語が話せること自体の価値は大きく後退したということです。


世界との関係が深まっていく中で、英語が話せることはもちろん大切ですが、そこにいかに専門知識を身につけて、世界と対峙していくかが問われていると思います。

専門知識は、人それぞれどの分野でも良いと思います。医療、金融、化学、IT、建築、また職種においても、営業、マネージメント、経理、経営など。

これからは、英語が話せるからこそ、そこに専門知識を身につけて人材としての価値を上げていくことが大切です。


※写真は、英国留学時代  Shrewsberryの街並み




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