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知らないことはできない

先日たまたま、目の不自由な方を駅まで一緒に歩いてお連れする機会がありました。これまで身近なところには同様の方がいなかったので、視覚障害がある方の日常をまるで知らなかったのでした。きっとわたしのような人がこの世の中には多くて、知らないことは思いつきもしないから、なにもしない・できない・変えられないのだろうなと。知ることって大切だなあと改めて思いました。

わたしの腕を持ってもらって駅まで一緒に歩く。ここまではスムーズでした。若い方だったので、想像以上に歩く速度は早かったのです。目が見えないとはいえ、ご高齢の方と歩く感覚とはかなり違いました。

駅の改札で駅員さんにバトンタッチして、その方を電車に乗せてもらうところまでがわたしの役目です。

しかし、駅についてから少々手こずりました。無人駅だったからです。ここが無人駅だということもそのときに知りました。駅員さんを呼び出す機会って意外とないんですよね。自分はそんなことも知らないのか!と思ったのでした。

無人駅で駅員さんを呼び出す??

と戸惑いながら、券売機のあたりに呼び出しボタンはないかな?と覗き込みました。でもここの呼び出しボタンは違うかも。切符購入などで困ったとき用だよな、と。だめではないんだろうけど。

そして改札口の周辺をきょろきょろ。ここにもボタンがありました。「駅員にご用があるかたはこのボタンを押してください」というような内容が書かれていたので、ああこれだ!と。でも、呼び出しボタンは目立たないし、説明書きも小さいのでした。

無事によその駅員さんにつながりました。隣の駅からお迎えに来てくれるとそうです。

「◯分発の電車に乗りますので、◯分にそちらに着きます。お客様にはここでお待ちいただいてもらえますか」

と丁寧に案内してもらいました。
しかし、10分くらいこの場所で待たなくてはならないのです。

すぐ近くにはコンビニがあったり、花が咲いていたりするんだけれど、こういうところに寄り道ができず立ちっぱなしとなれば、10分でも長い。せめてここに椅子を!と思いました。

なんとか、役目は終えました。
自分は何も知らないんだなあ……。でも、知れて良かったなあ。これが素直な感想です。

この出来事を機に知ったこと・感じたことがいくつかあります。

・目が不自由であっても、若い方だと歩く速度がけっこう早い。
・小さな駅では、発着時間以外だと皆静かに出入りしており、頼る人を見つけにくい。
・無人駅での駅員呼び出しボタン・インターホンはもう少し目立つほうが有り難い。(サポートする側が慣れていない場合がある)
・呼び出しボタンの横に椅子があると親切。
・この世界の不自由さを本人のコミュニケーション力もしくは努力によって、乗り切っている。アクティブな方だと、その精神力は並大抵のものではない。(この方も初対面の人に声をかけ慣れているようだった)

このあたりのことを知っていたら、スムーズにサポートできたり、もっと人に優しくなれるのではないかな。国や自治体がお金をかけるところも変わってくるのではないかな、と。人は知っていることしかできないのだから。まだまだ知らないことがたくさんあるんだろうなあ……。外へ出て、たくさん外を見よ!そんなことを思いました。

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