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ペロッチーノ監督 独占インタビュー(4,041文字)

▼最初に感じた「技術レベル」の低さ。でも…

 これは以前に他のインタビューでも言ったかな…正直なところ、葉羽に来て最初に感じたことは「技術レベルが低い」ということだったんだ。本当にこれで2部に上がれたのかと思うくらいに、あらゆるものがプロとは言えない水準だったと記憶しているよ。サッカーで一番重要なのは全体の底上げだけど、その中でも結果を残していかなければならない。まずはどうにか柱が必要だと、教え子であるアンデルソンの獲得をフロントにお願いしたんだ。

 ただそれでも面白い選手たちは揃っていて、ユースから上がってきたアキラとリョウ(増山彰と柴亮)の2人は能力的にはまだまだだったけど、向上心と吸収力が著しかったのを覚えているよ。キャプテンシーのある盛田やムードメーカーの河原など、個性豊かなチームだという印象を受けたね。またこれは日本独自の習慣なのかもしれないけど、僕の言う事を聞きすぎるなと思ったよ。ピッチで戦うのは選手たちなのだから、自分たちで判断して動いて欲しいと何度も伝えたんだけどなかなか上手く行かなかったね。

 個人の能力だったり、戦力的にリーグの中では低いほうだったから、まずはアンデルソンを中心としたチームを作るように心がけた。「戦術アンデルソン」という枠組みの中で、自分の力だったり現状分析ができて、やるべきことを整理できるプレーヤーを試合に起用することで、考えるサッカーを身に付ける仕組みを作っていこうと考えたんだ。

 どの選手も戦術を遂行しようと必死で取り組んでくれていたけど、特にケイイチ(成瀬敬一)は高い理解力を持っていたよ。アンデルソンを引き立たせる動きに徹していて、フォアザチームの姿勢が本当に好きだった。
 前のシーズンまでのチームの攻撃の要だったコウイチ(渡邊幸一)も良い動きを見せてくれていたから途中出場が主だったけど、目立たないながら素晴らしい動きをしてくれていた。どこかで彼を飛躍させたいと思っていたから、ダービーという舞台でサポーターからの信頼を獲得させようと考えたんだけど(※成瀬選手インタビューを参照)、見事期待に応えてくれたね。あそこから一気に成長したんじゃないかな。

 1年目はチームに基礎を植え付けることと、ひと桁順位に食い込むことを目標にやってきたから、最終的に10位で終わってしまったのが心残りだったね。ただ想定以上の成績ではあったし、選手たちもより高い舞台を目指すための自信が付いてきたと感じたよ。

 2年目となる今シーズンは特に競争を煽りたいポジションを補強してもらったたんだけど、注目してもらいたいのはイッセイ(原田一生)かな。両ワイドのポジションにはアキラとリョウ(増山彰と柴亮)を継続して起用してきたけど、そこに新しいタイプの選手を加えることで、自分の強みをどのように出していくのか考えさせて競争原理を働かせたいと思ったんだ。

 ユーティリティプレイヤーであるタクマ(楢木拓馬)の加入も大きいね。彼はサイドならFWからSBまでどこでもプレー出来る選手だけど、特にメンタルが優れている。敗戦が濃厚な試合においても必ず最後まで走り切るパッショーネ(情熱)があるから、その気持ちの部分をこのチームに導入したかったんだ。トレーニングにも常に真面目に取り組んでいて、若手たちのお手本のような存在になっていると感じるよ。

 開幕戦から静原という強豪と戦うことになったわけだけど、彼らの激しいプレッシングをどう打開するかという部分は選手たちに考えてもらったんだ。結論としては、フィードの得意なラノッチのロングキックと、競り合いに強いアンデルソンを活かそういうものだった。開幕戦で固くなったのか分からないけど、序盤はなかなかプレーが安定しなかったね。ラノッチのフィードも不安定だったけど、そこで我慢を続けたことが立派だった。考えて、共有し、それを実行し合って修正するサッカーがピッチで体現出来ていた。私は考えを押し付けるのではなく意思を統一する存在であって、彼らの考えや意思を尊重していきたいと思っている。葉羽エストレーノは良いクラブだよ。

▼「僕はサブの選手だった」大怪我から指導者の道へ

 昔話もしないといけないのかい?(笑)
 僕はイタリアの小さな町で生まれて、家庭は裕福とは言えなかったけど、とても幸せな日常を過ごしてきたよ。父さんは自動車整備士の仕事をしていて、休日は旅行や外出するよりも家で本を読んでいるような人だった。母は兄と僕の2人息子をいつも気にかけてくれて、とても包容力のある人だったよ。兄の影響で幼い時から始めたんだけど、地元ではそれなりに有名な兄弟だったかな。

 選手としては、有名クラブのユースチームでプレーをしていた時期もあったんだ。兄がセレクションで落ちたクラブを受けて、僕が受かった。そうそう、当時はセンターバックでプレーしていたんだけど、周囲のメンバーの実力が高くて、身長も高くなかったから試合にはなかなか出られなかった。控えのことが多かったから、試合中は僕の当時ユースの監督だったシモーネの指導をよく見ていたんだ。それが指導者という道についての最初のきっかけだったかな。

 そんな中でもイタリア3部のクラブからのオファーを貰って、2年目には試合に出られるようになってきたんだけど、その矢先に大怪我をしてしまって、選手としての道が厳しくなってしまった。そこからに本格的に指導者への道を考えたね。

 プレーヤーとしての僕はベンチに座ることが多かったから、スターティングメンバーに選ばれなかった選手たちの気持ちが特に分かるんだ。仕方ない事とは分かっていてもプライドが傷つく。僕はそんな選手のことを愛したい。君たちがいるから先発する選手たちがさらに高みを目指すんだと。だからトレーニングの際には、サブメンバーの動きを特に注意して見ているよ。

 それから僕は恩師であるシモーネの「考えるサッカー」に強く共感していて、大事にしたいと思っているんだ。あくまでピッチで戦うのは選手だからね。考えることができる選手は他のクラブに行っても活躍する確率が上がるし、僕はチームの事を家族のように思っているから、彼らの幸せを一番に考えていきたいと思っているよ。時にはちょっと厳しいことを言う時もあるけどね(笑)

 早々に選手を引退した後は、シモーネの推薦でスポーツ科学について勉強をすることができるラツァーニ大学に通ったんだ。そこでの指導経験だけではなく、スポーツ選手のについての基礎知識も教えてもらったよ。その後はスペイン3部のクラブからオファーを貰って、2年で昇格を達成することができた。ただ、契約のもつれで契約解除になってしまったのだけど(笑)

 スペイン下部での手腕を評価してもらって、恩師のシモーネの元でアシスタントコーチとして仕事をすることができるようになった。そこでさらに、サブの選手たちのメンタルケアを大きく学んだね。その後のキャリアではシモーネに同行していて、中国のクラブでアシスタントコーチをしている時に葉羽エストレーノからオファーを貰ったんだ。

▼日本行きの決め手と、成し遂げたいこと

 僕はシモーネと共に仕事をすることを誇りに思っていて、彼と共に長く仕事をしていきたかったから、最初は葉羽からのオファーを断るつもりでいたんだ。ただ、タツミ(葉羽エストレーノスカウト:藤島辰巳)からは何度も電話が掛かってきていて、一緒に食事もしたり、毎日のようにオファーをもらっていたよ(笑)。あまりの熱意にだんだんと悩むようになってきたところに、シモーネからも「チャレンジをしてこい」と肩を押されたことが決め手になって、僕は葉羽エストレーノに行くことにしたんだ。スペイン、イタリア、中国と渡り歩いていたから、国が変わることの不安はあまりなかったかな。それよりも、僕はシモーネから学んだやり方を実践することにワクワクしていたよ。

 最初にも言ったけど、日本とイタリアとの大きな違いとしては、日本の選手たちは監督の言う事を聞きすぎるね。僕の言ったことをそのままに受け止めるんだ。本当はそこから自分で考えて、自分のものとしてストロングポイントを作って欲しいと思っているんだけどね。ただ、1人1人と会話をすると強い野望や意思を持っていることが分かって、彼らの考えを引き出してあげることを強く心掛けたね。

 それから、僕はよくスターティングメンバーを頻繁に入れ替えたり、パフォーマンスの良くない選手を早い段階で交代させるようにしているけど、彼らとは考えを共有できているから交代した選手も気を落とすことはないはずだよ。試合後には、なぜ交代したのか、どうプレーして欲しかったのか、どこが上手くいかなかったかをすぐに共有するようにしているからね。

 葉羽は気候も温かいし、のどかな景観の中でトレーニングを出来て本当に素晴らしい環境だから大好きなんだ。僕はここで出来る限り長く指導をしたいと思っているよ。1年目の成績で来場者も増えて、とても良い雰囲気のスタジアムになってきたという実感もある。ただ契約を決めるのはクラブだからね。彼らの判断に任せたい。

 クラブの目標はもちろん昇格をすることだよ。その後の事はまだ深くは考えていないけど、とにかく目の前の一戦を必ず勝つということに集中したい。今年は上を狙えるメンバーを揃えてもらったから、昇格することは義務だと思って取り組んでいるよ。

▼葉羽にはイタリアでも通用する店がある

 食事の話もするのかい?これはサッカー媒体のインタビューだよね?(笑)
 残念ながら日本食はあまり好みではないんだけど、寿司は好きかな。箸は上手く使えないけどね。 日本に来てからはそうだな…葉羽駅の近くに、エストレーノサポーターが経営している「RaRa」というイタリアンレストランがあるんだ。ここには何度も通っているよ。この店のピザはイタリアでも通用すると思うね。


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