見出し画像

私が〈社会的養護〉に拒絶感を起こす原因のご説明

私は、過去に主治医であった児童精神科医から、今の児相に保護されている子どもたちや、社会的養護の子たちと精神科病院で非常に差別的な扱いを受け、ひどい二次被害で、自殺未遂に追い込まれた体験が過去にあります。今回の記事ではその二次被害がどんなものだったかという詳細は省きますが、私が〈子どもの支援〉や〈社会的養護〉という言葉に拒絶感を起こすようになり、とても苦手になった原因のご説明を簡単にしたいと思います。

児童精神科医からの二次被害で、PTSDになってもう何年も経つのですが、私は、元々は、大学院まで学んだ野生動物の知識を子どもたちに伝えるために、学校での出前授業や、子ども向けの生き物イベントを実施していました。※顔が出ている子どもたちはすべて過去の新聞に掲載された写真であり、写真掲載の許可は得ています。

子どもたちと私のイベント


実物のアライグマやタヌキの剥製を持っていったり、北海道では国内外来種であるカブトムシの幼虫発掘体験を通して、外来種問題や、生き物の命の大切さ伝えるイベントを実施していました。

私が虐待分野に自分の分野を完全に変更したのは、児童精神科医からの<子ども>や<社会的養護>の子どもたちとのあまりに差別的な二次被害を受け、自殺未遂に追い込まれた体験が原因でした。それまでの自分は、虐待や福祉、精神科医療には一切、興味のない人間でした。児童精神科医からの二次被害は、あまりにショックが大きく、自分の人生を180℃変えるほどの原体験になったのです。この二次被害の詳細については、また #note に記事を書きたいと思います。

上記の写真のように、子どもたちには、学校での授業やイベントをしていました。母校の小学校や中学校にも行って、私の後輩たちや、当時の学校の先生たちの前で授業をさせてもらったこともあります。当時の学校の先生も、ものすごく歓迎してくれました。

私は、子どもが嫌いではなく、むしろ、好きなのです。

拙著「わたし、虐待サバイバー(ブックマン社 2019)」の中でも書いていますが、動物園の飼育員時代は、ポニーに子どもたちを乗馬体験もさせていたり、うさぎや、ヒヨコのふれあい体験を通じて、子どもたちに命の大切さを伝えるイベントも仕事でやっていました。

児童精神科医からの二次被害を受ける以前は、<児童養護施設>を舞台にしたドラマを観ても一般人と変わらずふつうに楽しめていました。私は、虐待から保護されなかったけど、社会的養護が羨ましいと思ったことは1度もありませんでした。でも、児童精神科医からの二次被害によって、<子どもの支援>や<社会的養護>という言葉が、フラッシュバックを起こす要因になり、子どもが沢山いるイベントや、子どもの居場所、子どもの支援者からは、距離を置くようになって何年も経ちます。どうしても子どもの支援者や社会的養護に対し、攻撃的になり(自分の心の傷の防衛でもある)、トラブルになるので、避けるように今は暮らしています。

でも、本当は、子どもたちが好きだし、子どもたちの幸せを祈っているのです。
私が、自分の子ども時代に、児相もこなかったし、児童虐待防止法(2000年制定)もなく、社会的養護にも保護されなかったからといって、いまの子どもたちが、羨ましいなど思ったことは1度もありませんでした。むしろ、今の子どもたちには、私と同じ苦しみを味わってほしくない。社会的養護の子どもたちも、幸せになってほしいというのが本来の私です。

友人で、シングルマザーで小学生の子どもを一人で子育てしている友達がいるのですが、その男の子は、めちゃくちゃ可愛いし、母子だけの貧しい生活をしているけど、とても幸せそうに暮らしている友人の母子の姿は、涙が出るくらい輝かしく大切に見えます。
その幸せの永遠性を願わずにはいられません。

近所の子どもたちも、可愛いなと思います。
本来の自分と、児童精神科医からの二次被害の後に心に傷を負って<子どもの支援>や<社会的養護>というものに対し、拒絶反応を起こすようになった自分。
この2つの自分がいて、とても苦しい時があります。
でも、少しずつ治っていっています。
また、子どもたちと普通に楽しく関われる自分に戻れればいいなと思います。

虐待の被害当事者として、社会に虐待問題がなぜ起きるのか?また、大人になって虐待の後遺症(複雑性PTSD、解離性同一性障害、愛着障害など多数の精神障害)に苦しむ当事者が多い実態を世の中に啓発していきます!活動資金として、サポートして頂ければありがたいです!!