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不安はたのしい感情に置き換える。

今週も日記を書きました!

今週は…
■もんじゃ焼きのたしかな手ごたえ
なんか10月
消えたサンマの皮
オノマトペ辞典が欲しい
平日夜のエビフライ
輪ゴムひと箱使い切るほどの時間
■不安はたのしい感情に置き換える
の7日間です!



■9月30日(土)もんじゃ焼きのたしかな手ごたえ
東京の月島へもんじゃ焼きを食べに行く。もんじゃ焼きって、わたしの中で「これで合ってるんだろうか感が拭えない食べ物」の不動のナンバーワン。焼き方はこれでいいの?ほんとにこれが完成形?と手ごたえがないまま、半信半疑であのちっちゃいへらを口に運んでいる。手ごたえはないが、おいしいのでまあいいやと思う。今回わかったことは、ちょっと焦げたところが香ばしくてたまらん!ということ。これはたしかな手ごたえとして持ち帰った。



10月1日(日)なんか10月
朝、夫がデジタルの時計を見て「うわ!なんか10月になってる!」と驚いているので、「ほんとだ、なんか10月になってるね」と返す。夜、テレビをつけると女子バスケと男子バレーの試合を同時刻にやっていて、最初はチャンネルを行ったり来たりしていたものの、夫が「2つ同時に表示できるかも」とリモコンをいじり、画面を分割することに成功。テ、テレビにこんな機能があったのか!と、平成のど真ん中を生きる人間みたいな感想を抱きながら感動する。それにしても見たいスポーツがふたつも同時にあるなんて、なんか10月、なんか秋だと実感。なんか10月を思いっきり食べ尽くしたいなあと意気込みを新たにする。


■10月2日(月)消えたサンマの皮
※本日の日記は最後に衝撃的なサンマの姿が出てきます。ご注意ください。
お魚屋さんのセンターをてかてかのサンマが陣取っているのを見て、サンマ…食べたいけど…と思う。告白すると、我が家はコンロの魚焼きグリルの部分が故障しており(半年くらい前に引っ張り出したら元に戻らなくなった)、魚もすべてフライパンで焼いているという家庭の事情がある(直せ)。サンマをフライパンで焼けるものだろうか。サンマと言えばパリっとした皮。フライパンじゃ無理だよなあ…とあきらめ半分でスマホで検索したところ、クッキングシートを使い、蓋をせず焼くことである程度実現可能そうだとわかった。買ってやろうじゃないの、サンマ。新鮮なうちに冷蔵庫に入れたくて急ぎ足で帰宅。夜になり、皮をパリパリにしてやるぜ!と焼いたサンマは、なぜか皮が行方不明になっていた。なんてこった…。

しかも右向いてる



■10月3日(火)オノマトペ辞典が欲しい
うれしい連絡がきて、胸がきゅるんきゅるんする。トイレ掃除を日課にしてから、毎日なにかしらいいことが起きてにまにましてしまう。いいことも、そうではないことも、何かできごとが起きると感情が揺れ動いて、感情が揺れ動くと、これはオノマトペで表すならどんなだろうと思う。オノマトペ辞典が欲しくて検索してみる。6600円。普段、本はいくら買ってもいい、本を買って貧しくなることはないんだから!がポリシーだけど、6600円となるとちょっと一旦考える。たぶん買うだろうな近いうちに、と思いながら一応考える。


■10月4日(水)平日夜のエビフライ
エビマヨを作ってみるかと思って買ったエビを眺めていたら、エビフライが食べたくなってきて、進路変更することにした。夕方、雑ながら背わたを取って、一尾ずつ小麦粉、卵、パン粉を付けていく作業をしていると、わたしの中にみるみる幸福感が充満してきているのを感じた。わたしの指まで小麦粉、卵、パン粉がこびりついてエビみたいになっている。できあがったエビフライは、本来エビマヨサイズなのでちっちゃかったけど、味は上出来。サンマの皮を消してしまった人間が作ったとは思えないほど、ぷりぷり感もサクッと感もちゃんとある。お風呂から上がってもまだエビフライのにおいがして、幸福な気持ちの余韻。平日夜に、エビフライを手作りできた。それを幸せだと感じられる心を忘れたくない。



■10月5日(木)輪ゴムひと箱使い切るほどの時間
朝目覚めると、リビングにまだエビフライのにおい。さすがにもういいんだけどね、2日はしつこいよと思い、わたしっておそらく身勝手。午後、料理をしていて輪ゴムを使いたくなり箱に手を入れると、ない。え!輪ゴムがない。輪ゴムって、一生なくならない気がしていた。100グラム入りの箱を買ったのがたしか新婚のとき。オリンピック周期より長い期間が優に過ぎたにもかかわらず輪ゴムは一向になくならず、「輪ゴムって一生なくならないやつだわ。輪ゴムメーカーさんって、こんなに安く輪ゴムを提供して大丈夫なんだろうか?」と勝手に経営の心配をしたりしていた。輪ゴムひと箱を使い切るほどの時間を、夫婦ふたりで暮らしたのか。


■10月6日(金)不安はたのしい感情に置き換える
わたしの判断ミスであやうく問題を起こすところだった。事なきを得たのに、すこしの間心臓のばくばくが鳴り止まない。こういうとき、「大丈夫だった」という事実ではなく、「もしこうなっていたら」の想像にしばらく囚われて不安になってしまうのがわたしだ。たとえば、何年も前のことなのに「あのとき間一髪で大丈夫だったけど、もしこうなってたらやばかったなあ」と記憶を引っ張り出してひやひやすることがある。きっとこういう場面は誰にだってあって、「大丈夫だった、よかった」でサクッと片付けちゃう人も多いんだろうな。わたしにはそれができず、凹んだままとぼとぼ家に帰った。夜ご飯のぶり大根に箸を伸ばしながら、夫と週末の話をしていたらすこし気持ちが和らいできて、そうだこういう嫌な記憶や不安感は無理やり頭から消そうとするんじゃなくて、ほかのたのしい、うれしい感情に置き換えていけばいいんだよなと、何かの本で読んだようなことを思い出してやや落ち着きを取り戻す。




今週もありがとうございました!無意識のうちに食べ物の記事が多くなっていて、ああやっぱりなんか10月だと思うなどしています。


おわり

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