013話 急性期

「艸楽さんは、お元気ですかぁ?」

「おお! 丁度、艸楽さんがその洗剤を『高橋さんのじゃないの?』と言ってるんだよ。……行ってみる?」

・・・断る理由が見つからん。

「い、いいんですかぁ?」

 一緒にエレベーターへ乗り込み、2階で降りる。彼と台車だけが先に2南病棟の扉を潜った。

 裕司は2南扉と2北扉の間の小広場を、独りで待機している。

 久々に会える艸楽さんへ、何を話そうかと考えてみても何にも思い浮かばなかった。

 かなり興奮した気持ちになっていた為か、向かい合わせの2北病棟に、サオリが居る事をスッカリ忘れて、気にもしなかった。

 2南病棟、扉窓越しに観える久々の光景に

「相変わらずだなぁ」

 声に出して呟いていると、見覚えのあるオバァが扉に近付いて来る。

・・・ぁ、…何て名前だっけぇ?

 あまり、名前で呼んであげてない為か、脳味噌の萎縮によるものか、自分では判断し兼ねるが、取り敢えずそのオバァが手を振ってくれたので、振り返してあげた。

・・・そ〜だっ! ヨシコさんだぁ。

 そうこうしてると、先程まで一緒だったカツミ看護師が艸楽看護師を連れて扉を開けた。

 手にはビニール袋を提げている艸楽さん。

 カツミ看護師が気を利かせてか、病棟側へと去って行く。

 小広場に残されたのは、艸楽さんと裕司の2人っきり。

「元気だった?」

 笑顔が輝いて見える艸楽さんの表情は

・・・絶対、裕司に好意が有るょ!

 そう思われても仕方が無い程だ。

「会えて凄く嬉しぃ!」

 正直な感想を端的だけど言えた。

「コレ、違う?」

 艸楽さんも要件を短く伝えてきた。

「カツミさんと、もぅ1人の2南看護師さんにも言われたけどぉ、僕の使ってた洗剤はアタックだけだょ」

「この柔軟剤は?」

「今までの人生で一度も……。何人もの看護師に忘れてない? って訊かれるもんだから、ソレは誰かからの贈り物か? メッセージ入りなのか? って思っちゃってたょ」

「……他の患者さんに、使いそうな人が見当たらないんだよー」

・・・消去法か〜ぃ?

「カツミさんから『艸楽さんが高橋さんの忘れ物が有るって言ってた』って聞いた時、絶対に艸楽さんが裕司と会う口実を作ってくれたんだぁって嬉しく思ったんだょ?」

「そんな、回り諄い事しないよ」

・・・看護師がその気になれば、どこの病棟に居る患者にも容易に会えるのかなっ?

「……何で少し寒いくらいなのに、タンクトップなの?」

 この時、裕司はラスタカラーでドレッドヘヤーのライオンがプリントされている、お気に入りのタンクトップを着ていた。施設スタッフのタクさんからの頂き物だ。

「そ〜なのょ! Tシャツが全然乾かないから、2南にだけ設置して有る乾燥機を借りる口実が出来そ〜だったんだぁ。いっつも何とかして、艸楽さんと会う機会を考えてるんだょ〜?」

「またまたー」

 偽りの無い本心なのに、冗談半分に取られてしまった様子。

・・・看護師規約的にはイケない事なのかもしれないけど、僕としては凄ぉ〜く恋愛心を操られているんだぁ。離れた期間が長〜くなればなる程。

 けれど、結局

 今回も「好きです」って事を、丸で伝えられていなかった。

・・・次回、何かのきっかけでまた遭えたら、過去に渡した手紙には『友達で』って定を書いていたけれど、全くそれだけでは物足りないくらい、心が揺さ振られてしまっているので『それより上の関係がいい』って伝えてみよぉ!

 別れ際に艸楽さんの方から手を伸ばして、握手を求めて来た!

 裕司も右手を差し出した。

 艸楽さんは、裕司の手を両手で挟んでくれた。

・・・何っ!? こ、この、手の握り方?

 温かく包まれた感覚。

 裕司は頭の片隅で

・・・丸で、患者さんに「元気でね!」って励ましてるみたいじゃん? ……あぁ、僕も列記とした患者だったねっ。

 翌日、サオリと裕司の2人だけの密会場で、裕司はサオリではない人とのお喋りを初めてした。

・・・ぃゃ、女じゃなくて男とねっ。

 今の3北で仲良しになった、雀友でもあるオオミネさんだ。

 彼はアルコール依存症なのに、アルコール病棟がイッパイって事で、閉鎖病棟の裕司と同じ3北に来て居た。

「鳩の羽根の間には、インベーダーゲームの敵キャラみたいな形で、薄ぅーい蝿みたいなのが存在していて、ソイツを吸い込んだ人は喘息になるんだよ」

 こんな豆知識を教えてくれたり、勿論、麻雀の腕前も達者だし、裕司の院内の出来事や恋愛観を聞いて共感してくれたりで、とても好感の持てる人物なのだ。

 その彼が30分間の限られた時間開放中に病院敷地内をお散歩中、裕司とバッタリ会って、2人でお喋りする流れになり、歩いていたら

・・・この場所を案内してみても面白いかもっ?

 そして、サオリと裕司だけの秘密の場では無くなった。

 オオミネさんは、生い茂ってる樹木を観て

「◯◯◯無いねー?」

 キマる成分の実が無くて、ガッカリしていた。

「もし、それが有ってぇ、目の前に出されたらぁ、……葛藤する前に試しちゃうなぁ」

 裕司は依存体質なので、つい言ってしまう。

 小山の近くに、ソーラー発電をしている箇所を発見したオオミネさんは

「以前、ソーラーが流行ったの知ってる?」

「あぁ、売れなくなったんだよねぇ?」

「そう、皆んなが予想以上に設置したもんだから、電力会社が買い取れなくなる程、電気が余ったんだってね」

 等と世間話をしたりした。

「高橋さんが3北の同棟に居たから、俺は可笑しくならずに済んだ。本当、感謝してるよ!」

 裕司への想いを伝えてくれた。

・・・お世辞でも嬉しぃ。

 アッと言う間に、10時付近になり

「そろそろ戻ります」

「僕はココで少し、楽しんでいきま〜す」

 数分後、サオリが登場した。

 代わり映えしない格好は

・・・洋服のお洒落が大好きと言っているサオリは、良い服を病院という空間で汚したくないからかなぁ?

 裕司はポジティブに推測してみる。

「今日も生理で苛々が強く出ているみたい」

「大丈夫。僕に当たっていぃからぁ」

 本当は、当たられたくないくせに、裕司は口から出任せを淀みなく言う。

「優しいんだね、アリガト」

 この言葉を言われたかっただけだ。

 ハグ・チュ一を立ちでしながら、生理なんて構わずにお尻を触りにイクと、ナプキンの感触を確認した。

・・・万が一、血がズボンに付いたら面倒かっ?

 そんな思い遣りで、右手の位置をサオリの左胸に変更した。

「Hしたい……、ホテル行きたい」

・・・サオリのそんな言葉がとても嬉しぃ。

 そして、Tシャツの腰部分を捲り、直に腰を触ってみる。

・・・汗ばんでる! そ〜んなに興奮しているのかなぁ? 又は、シャワー嫌いなのかぁ?

「また明日ね」

 この日の裕司はいつもみたいに、長く散歩をしなかった。

・・・ど〜せ、カナコには会えないだろ〜?

 期待感が薄れているのを自覚し始めた。

 大人しく病棟に戻ると、何日か振りに主治医と出遭えた。

 すると『治療計画書』って仰々しい紙にサインをさせられた。

 裕司の症状に『双極性感情障害』の文字がなぜだか外れて『薬物依存症』だけが残っていた。

 それならばと、勢い付いて

「アルコールの自助会メンバーに聞いたんですけどぉ『依存症施設の人が、話をしに来てるょー』ってぇ?」

「有りますよ。んー、月何回だったかなー? ちょっと、ミーティングがいつだか調べてー?」

 主治医はたまたま傍に居た看護師に、顎で指示を出した。

・・・だったら前にアルコールの自助会ミーティングの参加を許可した際に、ど〜して言わなかったのぉ? ついでに教えてくれても良さそうなのにぃ。……不思議だぁ。

「高橋さん、腕を真っ直ぐに伸ばしてー?」

 いつもの様に、指の痺れや震えの有無を確認された。

 けれど、何の回答も教えてくれぬまま。

 今、裕司の居る3北病棟は、他の病棟よりも、精神障害者で特に落ち着かない人や騒がしい人を集めた『急性期』と呼ばれる場所だと最近になって知った。

 2南病棟から3北病棟に戻る話を、2南の看護師らにしたら

「え? 何で? ……急性期の所じゃん?」

 等と、不思議がられたのを裕司は、今更、深刻だと気付いた。

・・・僕は自ら時間開放を求めたから、それが出来る病棟に移っただけで、間違っても病状が悪化したとか、悪化すると判断されての急性期病棟への移動ではない筈だっ。

 周りに居る患者らの様子を観察してみる。

・・・一見すると、彼ら彼女らを可哀想に想いがちだが、果たして当人達はど〜思っているのか?

・・・下手に頭を使っていないから、それなりに心地良く生活しているんじゃなぃのかっ?

・・・世間の健常者達の方が喜怒哀楽を感じ、ストレスを感じたりで、しんどい毎日を送っているのではないかっ?

 裕司は今、社会から離れ、病院と言う孤立した空間に居て、自分より弱っている患者らに囲まれて暮らしている。

・・・決して苦痛ではなく、寧ろ楽しぃ。

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