【お城で行われたオフサイトミーティング】壁があると思っていたが、一番壁を作っているのは自分だった
ドイツの夏、それは白昼夢
初投稿からかなーり日にちが空いてしまいました… 汗
前回の初投稿では想定していた以上の反響をいただきました、ありがとうございました!
これから亀の子更新になってしまうかと思いますが、よろしくお願いいたします。
ついにやってきた夏。
夏になるとヨーロッパ(特に北中欧)は、「ここは同じ場所なのか?」と思うくらい雰囲気が180度一変します。
冬はクールで黒ずくめのダウン(実感値 比率80%) に身を包んだドイツ人も、夏になるとショッキングピンクのようなビビッドな服を纏い、なんとも多幸感に満ちた表情を浮かべて闊歩しています。
ライン川沿いやレストランのテラス席は満席、アイスを食べたり(ドイツ人はアイス大好き)、ひたすら日焼けしたり、ひたすらお酒を飲んだくれる人で溢れかえっています。
今しかない、朝7時から夜10時ごろまでのとびっきり長いお日様を、思い思いの形で堪能するドイツの方々。
デュッセルドルフの街並みや些細な近所も、こんなに綺麗だっけ?と思うようなきらきらして生き生きした光景へ様変わりします。
お城で会社のオフサイトに参加してきた
最近はといえば、デュッセルドルフ郊外、オランダ国境近くにあるのSchloss Krickenbeck というお城(兼ホテル)で、私が所属する戦略ユニット部門のオフサイトに2日間参加してきました。
中央駅で待ち合わせしてバスに乗り込みましたが、目的地は、当日、現地につくまでトップシークレット。気づいたら、このお城にいました(笑)
ミュンヘン、ベルリン、ハンブルグ、ケルン、デュッセルドルフetc… ドイツ全国の部門メンバーが総勢200名ほど集まり、チームに分かれてミッションに取り組んでいきます。
あくまでチームビルディングを目的としたレクリエーショナルなコンテンツばかりでしたが、やはりトピックの中心はGenerative AI。
チームのロゴも DALL·E 2 - OpenAI で作ったり、Generative AI含むテクノロジーが特定の業界および、自分たちのコンサルティング業界にどのような影響を及ぼすのかといった"Future of Advisory"をテーマにしたパネルディスカッションやグループワークなどが多かったです。
夜はAll White というドレスコードで、パーティーがありました。
結局部屋に戻ったのは夜中1時半くらいです。
集団イベントで浮き出てしまう自分のvulnerability
...
と、ここまで写真とともにお見せすると、「なんてヨーロッパらしくて華やかで楽しそうなイベント!」のような印象をいただくかもしれません。
さすがに働き始めて半年近く経ち、知り合いは増えましたし、
他オフィスで一緒に働いてきてまだ対面できていなかった仕事仲間と初めて話せたり、新しい人に出会えたり… 本当に素敵な出会いが沢山ありました。
でも正直な所、私はまだまだこのような類のイベントは
楽しさよりも「疲れ」が圧倒的に勝り、イベント後はHPゼロ、屍のようになります(笑)
そして「自分のこのふるまい・発言は正解だったのか」という無駄な反省会が繰り広げられます(笑)
今回は、なんでこんなに疲れるのだろうと内省してきたので、その結果を長々と語ってみたいと思います。
仕事ベースでの、1対1や、少人数グループでのコミュニケーションではさすがに疲れを感じることはなく自然にできるのですが、
このような大人数の集団が一同に会する場になると、
「マイノリティである私」が抱えているvulnerability / 脆弱性ががいっきに表出して圧倒され、なんだかキャパシティがいっきになくなってしまうのです。
まるで水をかけた綿菓子のように。
この原因の一つは、まずは避けて通れない言語問題。
一応corporate language は英語なので、パネルディスカッションやプレゼンなどのオールハンズの場は英語ですが、
レクリエーション色が強くなればなるほど(=「仕事感」がなくなっていくほど)自ずとドイツ語の割合が増えます。
楽しくカジュアルな場になると、且つ99%の人がドイツ語話者だとすれば、どれだけ英語が達者なドイツ人であってもドイツ語が飛び交うことなんて必然です。
いくら第二言語が上手でも、母語は母語。
それに対して私は文句は言えないし、そんな環境を選んだのは自分です。
しかし、グループワークの時に「英語でよい?」とお願いしなければいけない精神的負担。
英語に切り替わっても議論が白熱すると結局ドイツ語になったときにどのタイミングで軌道修正を切り出すか勘ぐる瞬間。
たまに切り出さずに「ドイツ語勉強ターーーイム!」と割り切って必死に理解しようと試みるも、めでたく玉砕し、議論に置いてきぼりになる瞬間(笑)
もうこれは、まずは自分がドイツ語を頑張るのは前提の上で、もうドヤ顔で「英語にしてくれませんか?」と言うことしか解決策はありません。
そして何よりも「英語に切り替えてまでも私と話したい」と、私が出すインサイトや私自身に興味を持ってもらうこと、それが価値があることだと思ってもらうことが一番の解決策です。
言語の壁が招く認知バイアス
こうして避けて通れない違和感やチャレンジが度重なって、自分が自分らしく振舞えるための基盤や自信を失い、
普段はスーパーポジティブな私が、自分でも信じられないくらい「気にしいメンヘラ人間」へと変貌するときがあります。
例えば.. こんな現象↓
そもそも、200人もいれば、私はただ単にそのone of them であり、絶対に自分にそこまでアテンションがいっているはずなんてないのです。
なのになぜか、周囲の人が私の一挙手一投足をジャッジしているかのように感じてしまう、やけに自意識過剰な気持ちにもなり、イベント中もその後も自分がうまく"behave"していたのか気をもめてしまうこともあります。
これらは紛れもなく、「異質である私」という自分が埋め込んでしまった認知バイアスが起因していると思います。
それは正しくもありながら、確実に間違っているのです。
そもそも「日本人」「ドイツ語がしゃべれない」「ドイツとそもそもこれまで縁がなかった」といった表面的な条件だけみれば、確かに私は圧倒的にマイノリティです。
でも、国籍や言語以外の多様な軸で、きっと自分がマイノリティだと思っている人、そう認識している人はほかにもいるはずであり「私だけがマイノリティ」であるはずはない。
ドイツ人の中にもきっと同じような違和感を感じている人がいるはずなのです。
こうして「私が”一番”みんなと違うのだ」と思い込んでしまう認知バイアスが、このような場での心理的非安全性を掻き立ててしまっているんだなと思います。
心救われた、中国人の同僚のことば
そんななか、このイベントで財産になった出会いは、フランクフルトにいる、上海オフィスからトランスファーしてきた中国人の女の子でした。
おそらく私以外で唯一の非ドイツ語話者です。
彼女は、ドイツ人との結婚を機に、去年私と同じくらいの時期にドイツに移住しました。
その子とは、合間の時間や帰りのバスで沢山マシンガントークを繰り広げ、
挙句には、帰りにバスが中央駅についた後もスターバックスで1時間ほど話し込んで解散したほど(笑)
私よりも確実にドイツ語の理解度もあり、アメリカの大学院を卒業し、中国で出会ったドイツ人と結婚して、今は旦那のご両親との二世帯住宅(!)でフランクフルト郊外の田舎街に住んでいるという、経験値的にもメンタル的にもタフで強い芯がある子でした。
やはり沢山話したのはコミュニケーション文化の違い。前回の記事で紹介したこの話です(これに関しては後々深堀したいと思います)。
一言でいうと、スーパーダイレクトで、言葉にしないと絶対に伝わらない、逆に言葉にすれば頼りになる、ドイツでのコミュニケーションのことです(笑)
まず分かったことは、そんな彼女も私と同じように「気にしい現象」になる時が多々あるということ。
彼女も、とある発言が同僚を不快にさせたのではと気にしていました。
でも彼女は私とは根本的に違うところがありました。
それは彼女のほうがセルフケアができていること、そして不安な時があっても「ゆるぎない自分」がいるという感覚がある、一言でいうと自己肯定感がある所です。
私が仕事で苦労したエピソードを話すときはいつも、
「まぁ私のこんなところが悪かったからなんだけどね」
「まぁ私がドイツ語できないのがいけないんだけどね」
と結局はいつも自分のことばかり責めていました。
そのたびにいつも彼女はこんな感じで大反論(日本語でエッセンスのみ要約)
確かにそうだなと。
私はどうしても日本人らしい謙遜的な態度になってしまい、その謙遜が失敗体験と重なって、自己肯定感のなさにもつながっていたのかなと思います。
彼女の達観した洞察と適応力に本当に元気づけられ、刺激をもらいました。
そして自己肯定感を増すには、まずは小さな成功体験を沢山作っていくことに尽きるかなと。
最近は仕事での、小さな成功体験も増えてきたので、無駄な謙遜は捨てて、ダイレクトに思っていることは建設的に口に出して、もっと胸を張っていこうと思います!
「includeされている」という実感は所与ではない
これだけ見ると、「この人大丈夫か?」といつも苦労しているような印象ですが(笑)
最近日々の仕事はかなり前よりも慣れてきて、それこそこのような不安感などなく自分らしく働けている日々が増えました。
そして私は日本人の旦那と暮らしていることもあり、上記に述べたvulnerability を感じる瞬間は決して頻繁ではありません。
ただこのような経験をして思うことがあります。
私が日本で過ごしてきたこれまでの環境があまりにも恵まれすぎていたということです。
学校・職場… どこにいっても自分がマイノリティだなんて思う場面は一度もありませんでした。
所属するコミュニティのポリシーなど、ほんの小さい違和感があったとしても、「自分がここに所属していない感」「端くれに取り残された感」を感じることはどこにいってもありませんでした。
これが所与のものではないのに、その認識すら持っていなかったような気がします。
きっと上記のような、「違和感」「自分らしくいられない感」を、私のように一時的ではなく、日常的に、もしかしたら生まれてから生きてきた今まで四六時中感じている人が社会では沢山いるはずです。
私はこの地での(30歳にして)マイノリティになってみた経験を生かして、日本に帰っても、そのような人々の気持ちが100ではないものの、確実に前よりも少しは理解できるはずです。
ここで培った感情や経験を生かして、日本に帰国したときも、まずは職場などの小さい場所から、包摂的なコミュニティの向上に少しでも貢献していきたいなと思いました。
なんだか一イベントの話から敷衍してやけにスケールが大きい話になってしまいましたが…. 次はもう少しゆるゆるした旅行記やコミカルな人間観察などの記事も書きたいです(笑)
最近いったスイス(Interlaken)の美しい風景で終えたいと思います。夏のスイスは夢の場所でした...
それではまた。
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