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母親は完璧ではない。勝手に母親像を作っていた私。

いきなりいつもと違うテーマの記事ですが、母親との関係について少しでもお悩みの方がいらっしゃったらお付き合いください。
昔は自分の母に不満を持っていました。もっと面倒を見て欲しかったし、甘えたかったんですよね。もっと母らしくしてほしい。しかし自分が思い描いていた「母親像」は勝手な妄想でした。

勝手に作った「母親像」と当てはまらない母

子どもの頃、そして青春時代を振り返ってみると、自分が思い描く「母親像」を勝手に作っていました。いかにその考えがひどいものかというと、

例えば、

  • 朝は早く起きて家事をするのが普通。

  • 父親や子どもたちのことを常に考えたり、優先。自己犠牲だがそれが幸せ。

  • バランスが取れていて、美味しい食事を作るのが普通。

  • いつでもしっかりしているもの。

など。自分が母になった今、思えば昭和の親父か!と突っ込みたくなる虫酸が走るような妄想です。
今の私は1つもこなせていない・・・

しかし、小学生頃の私や私の家族(父、他界した祖母・祖父)は上記のような考えを持っていました。
そして、それにそぐわない私の母のことをどこか残念に思っていたどころか、批判を恐れずに正直に言うと、馬鹿にしていました。もっと母らしくしてとも思っていました・・・。

母が結婚して祖父母と同居してからの30年あまり、母にとっては牢獄だったのではないでしょうか。そんな牢獄の中で、母は障害を持っている弟を育てていました。弟の療育の負担も全て母。「家族」の大変な部分は全て母に押し付けていたのです。

私は自分の子供が生まれて、仕事をしながら子育てをしたり家庭を支える大変さを身に染みてから、かつて勝手に思い描いていた「母親像」がいかに無理なことだったのかと思い知らされました。さらに障害のある子どもを育てる大変さは計り知れません。

母が家出した日

私が小学校5年生の時、母が一度家出をしたことがありました。
公園で遊んでいたら母が来て
「これから(母の)実家に行ってくる。いつ帰るかわからない」
とだけ言って「菓子パン」を渡してくれました。
友達に「どうしたの?」と聞かれた時は「デパート買い物に行くんだって」と答えた記憶があります。(デパートなんて無い田舎なのに。苦し紛れの嘘でした。)

祖父母がいるし、食事や学校の支度などは一人でできるので、あまり不安は感じませんでした。けれど、母はどうして私を置いていってしまったの?と悲しい気持ちになりました。

その悲しい気持ちを持ったまま大人になり、母になって気がついたこと。あの時、菓子パンを渡してくれたのは、「勝手に出ていってごめん。せめて私(母)ができることは家にあった菓子パンを渡しておくことだけ・・・」と思ってとった行動だったのでしょう。
ずっと母に対して恨みに近い悲しい気持ちでいましたが、確かに愛情があったんです。

20年以上経ってから気が付くなんて、想像力というか、人の気持ちを推し量る力が足りないなと反省するばかりです。

これからの母と私

父は母のことを馬鹿にしている考えは変わりません。
今も牢獄は続いています。

今も牢獄にいる母を救い出すこともできず、素直になれず寄り添うこともできない私。

何もできないけれど、せめて「今まで大変だったね」「ありがとう」と言葉をかけたいと思います。
孫を連れて。

一時的にでも母に喜んでもらいたい。
これまで頑張って私と弟を育て、見守り、後押ししてくれたことに感謝しています。これからの余生は母にとって本当の自分でいられる時間、今までの苦労が薄まるように、癒しや小さい楽しみを感じて欲しいなと思います。


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