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SAPIX「α落ち」して分かったこと①

この1年間色々あって、だいぶ空いてしまいました💦今回は小4息子の1年間について書きます。

4年生はα3からスタート

4年生からSAPIXでは「α」の名前が付く上位層クラスができます。以前の投稿で書いた通り、αは校舎ごとの基準であって統一のものではありません。また小規模校にはαクラスは存在しないとのこと。(息子の校舎ではだいたい偏差値60を超えているとα入りかなーと思っています)

ただ子供たち&保護者にとっては、「αに入れるかどうか」は結構大きなモチベーションになります。息子の校舎では、αは3クラス(上からα1、α2、α3)なので、3年生の新学年の1月の組み分けテストでα3に入ったときは「おおっ!」と家族中で大喜びでした。

4年生の授業

4年生になると授業のコマ数が増え、宿題も増えます。ノートも「授業用」「家庭学習用」の2冊を用意するように推奨され、授業のたびに家庭学習の「ノートチェック」がありました。

ただ別の校舎に通う保護者からは「息子が授業でノートをとっている形跡がほぼないし、宿題をノートでするなんて聞いたことがなかった」と驚愕されたので、SAPIX共通の指針ではないかもしれませんが)

αで言われるヘビーな宿題

SAPIXの家庭学習=授業で解いた問題の復習&授業で触れなかった問題を解く、です。どのクラスにいようと進度と教材は同じですが、αで独特だなと感じたのは理科と社会の宿題に対する指示。とにかく時間がかかりました。

まず理科は、家庭学習で「間違えたところ」に対して「なぜ間違えたのか」をノートに書いてくることを求められます。(単純に、「ア」が間違えたので、赤色で「イ」と直すのは不十分とのこと)ものすごく時間がかかります。

そして社会は「教材の復習」は当たり前、とにかく「白地図」にこだわります。授業中もATLASと言われる地図をもっていかないと置いて行かれますし(息子は何回も忘れていきました)

宿題も「白地図に地域の名産を書き込んできてください」などもはや夏休みの自由研究レベルの内容を毎回言われます。(そしてものすごい力作を書いてくる子が何人か現れます)

こんな調子だったので、3年生の2月から3月は、新しい授業や生活スタイルに慣れるのが精いっぱいで、他の稽古事の宿題(ピアノ、バイオリン、公文)はほぼ一切できないという状況でした。

気合の入る保護者会

この頃に開催された保護者会も、クラス別でαの生徒のみの保護者会でした。

先生もさかんに「α123は~」を連呼していて、意識の高さが伝わりました。平日に開催された保護者会も、パソコンを持ったパパが半数くらいいたのも印象的。

仕事の作業を内職しているのではなく、何やらエクセルで学習計画表らしきものを作りながら、保護者会を聞いているといった様子でした。

保護者会終了後も各教科の先生ごとに長蛇の質問の列。その時私は「理解がページごとに教材番号が書かれてないので、一気にスキャナーした後の整理が大変。なんとかならないか?」と聞いてみたものの

お気持ちはわかりますが、、、著作権の関係もあってそもそもテキストを分解するという思想がありません」と真っ当な回答を返されました💦

α1で見た超人たち

息子は次のテストで順調にクラスアップ。偏差値67で、α1の最上位クラス入りしました。息子の校舎でα1というと、最難関の筑駒、開成に過半数が入るクラスです。4年生のしょっぱなとはいえ、この時は家族中が興奮していました。

このころから息子にα1のクラスの様子を聞くことも増えたのですが、何やら異次元

まず「SAPIXと他塾(orZ会)併用者」がクラスの半数くらい。なので、算数で新しい単元に入っても「あ、知ってるー」という子がナチュラルに存在。ちなみに、他塾で多かったのは、望学園とフォトン算数クラブ、あと四谷大塚の掛け持ちもいました。

塾だけ掛け持ちして成果を出せないというのはよく聞きますが、α1にいるということは、塾を掛け持ちして成果を出している超人たち。もはや「趣味、勉強ですよね?」という時間の使い方。算数のテストでは150満点中140点の子とか普通に存在してたそうです。算数オリンピックを目指す子もいるので当然ですかね、、、

再びα3へ

そんな中でSAPIX以外の教材は手をつけず、ピアノ・バイオリン・公文・サッカー・水泳を併用して、スイッチのゲームとYouTubeはしっかりみるといった息子が一緒にいることは当たり前ですがむつかしかったようで💦次のテストではα3に戻りましたが・・・

二度と入ることはないかも、と思いつつ、「世の中の上の上」を身近に見ることができた期間でした…と思えていたころはまだまだのんきだったのかもしれません。

始まった母の介護

このころに遠方に住む母の具合が悪くなり余後も宣告されたため、私が週の半分を実家に帰省して過ごすことに。私が不在の間は、息子と娘の学校の支度・生活管理・塾の宿題などなどすべて夫が見ることになりました。

これまでSAPIXのプリント整理、宿題管理はすべて私がやっていました。かなりきめ細かくやっていたとは思いますが、それを夫に引き継がないといけません。(割ときちんとやってくれていたとは思いますが)やはり難しい面も多々あったようです。

(例えば、授業ノートを毎回チェックして、復習するべきページを付箋を貼って、終えた日付を問題ごとに書くなどは、「そこまでする必要がない」と言われました)

実家と東京の行き来に

当初はかなり母も持ち直したので、介護というよりも「付き添い、話し相手」という感じで介護の負担は大きかったわけではありません。

ただ新幹線で4時間ほどかかる距離。週の半分を実家で過ごし、夜に東京に戻ってきて翌々日の朝にまた実家に戻る、みたいな生活が3か月近く続きました。

仕事は有給を組み合わせつつ、実家の空いた時間と新幹線の中で、PTAの会議はZOOMで司会進行、毎朝毎晩LINEで子供達と通話、東京に帰ってきたときにSAPIXのプリント整理、みたいな生活。

α落ち

母の最後に向き合えたことは本当にありがたかったです。周囲のパパ・ママに娘の塾送迎などはお願いできたこと(これは本当に本当にありがたかったです)、仕事のメンバーの理解が高かったこと、夫も子供達も頑張ってくれたことなど、周囲と家族への感謝は言葉を尽くしても語り切れません。

一方、この生活の中で、何とかα3で継続していた息子の成績はゆっくりと落ちていき、7月のテストでは偏差値が57に。クラスもαからJ(校舎では、上から2番目のアルファベットクラス)に落ちました。いわゆる「α落ち」です。

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