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漂いあるもの | Kii

私はコーヒーを焙煎している。

こだわっていることは、甘く苦味のあるコーヒーのために深めに焙煎するということと、有機か無農薬栽培されたものを選ぶいうこと。

コーヒー豆の栽培は、赤道から北緯南緯それぞれ25度が適していて、地球をぐるっと様々な国と地域で生産されている中、アフリカ・アジア・中南米などから、問屋さんを通じて1種類につき10kgずつ手に入れている。今のストックは6カ国分。

焙煎をするには初めに「ハンドピック」という作業をする。欠点豆や異物を除く作業のことだ。私の場合ストックから1kgを取り出し、少量ずつ大きなトレーに広げて、明るい窓辺で隅々まで豆を見渡しながら取り除いていく。それは単純作業ながら、間違い探しのように愉しい作業である。ひと通り終えると全部をサッとお湯で洗ってもう一度同じ作業を繰り返し、焙煎するまで陽の光に晒す。ここまでがいつもの一連の下準備。

整えた生豆を大きな釜に入れてロースターにセットしたら、マッチを擦ってコンロを着火。火の調節をしながらゆっくりぐるぐると手で廻し続けると、3、40分ほどであらかじめ用意しておいた竹ザルに一気に開け、芳しい深煎りコーヒーのできあがり。焼き上がりの室内は、ダクトの強制換気では追いつかない、むせ返るほどの湯気と煙と香りが充満していて、それは毎回私にとって安堵と至福の時間である。

はじめに私を紹介する上で、コーヒーの焙煎の話しをすることは、私の暮らしを占める割り合いからも適しているけれど、私がどんな趣味嗜好なのかお伝えするのにもちょうどいい。

前述した焙煎における工程は、人によってはとても退屈な作業なのだろう。新鮮さや閃きなどほぼない。でも延々、淡々とした行為を繰り返すことに、私は喜びを感じる。

また、コーヒーには常に香りがともに在る。飲む時に豆を挽けば、たちまちコーヒーの香りがそこに拡がっていく。香りに包まれている間、魔法にかけられたようにキラキラと場が光り、ひとりであっても、誰かとの時間であっても、そこが生き生きと感じるのは私だけだろうか。そんな担い手となるコーヒーの仕事は、私にとってとてもさいわいだ。

コーヒーの香りに限らず、見えなくとも確かに在るものへ馳せ、感じることは、私が暮らす上でとても大切な要素だ。気配はなくとも、その場に漂いながら存在しているものは、身体の五感の以外から無意識に私へと働きかけ、隙間を埋めて満たしてくれるものだと、そう思っている。

リレーエッセイを綴っていくにあたり意識したいのは、受け取りつつ、自分の反応を客観的に知ること。そして自身を棚卸しすること。どんな風になるのかは、やってみないとわからない。尊い4人の仲間のもと、安心して巡らせていきたい。

#1巡1回目

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