毒を以て毒を制す -『ジャッカー電撃隊』の美学-

今でこそ「スーパー戦隊シリーズ」の第2作として知られる『ジャッカー電撃隊』(1977)。
大人気を博した『秘密戦隊ゴレンジャー』の後番組として放送されるも視聴率は振るわず、数々のテコ入れを行うも最終的には35話で打ち切りとなったため、世間的には失敗作と見做されている…と思う。

しかしシリアスな序盤を評価する声も多く、実際そこはおもしろいのだ。そこをヒントに、では何がダメだったのか、今回思うところがあったのでちょっと書いてみることにした。もちろんいろいろな要因があるわけで、あくまで一ファンの感想に過ぎないのですが…。

ジャッカー電撃隊の結成


こういうヒーローものには悪の組織がつきもの。本作では犯罪組織・クライムが「東京を犯罪都市にする」というスローガンを掲げ、首領である鉄の爪(アイアンクロー)の指揮のもと数々の犯罪が行われていく。そんな中、クライムはついに犯罪ロボットを投入する。ただの人間では太刀打ちできないため、鯨井大助長官(通称ジョーカー)はサイボーグ部隊・ジャッカー電撃隊の結成を決意する。

ジョーカーは適性のある人物に自ら足を運んでスカウトを始める。

一人目は桜井五郎。オリンピック近代五種の金メダリストで、抜群の運動神経を持つ。ジョーカーは彼をスペードエースにしようとアプローチするも、「親からもらった肉体を大事にしたいんです」ときっぱり断られてしまう。

二人目は東竜。元プロボクサーだが八百長試合に嫌気が差し逃亡。海外で殺人騒動に巻き込まれ、帰国したところを逮捕(もちろん冤罪である)。するとその前にジョーカーが現れ、「君の疑いは晴れた」と手錠を外してみせる。そして「サイボーグにならんか」とジャッカーへ勧誘。一旦は断られるも、「見込み違いだったか」という言葉に惹かれて東はジョーカーを追いかける。ジョーカーがタクシーに乗り込む寸前に追いつき、何か共鳴するものがあったのか、二人は車内で不敵に微笑む。しかしこのシーン、マジで二人とも悪役にしか見えない笑い方をするのだが、いろいろ鑑みると意図的なのだと思う。

三人目は女刑事・カレン水木。自身がクライムの麻薬取引を暴いたため恨みを買い、父親との帰宅中交通事故を装った襲撃に遭う。結果本人は重傷、父親は命を落とす。そして見舞いに来たジョーカー(知り合いだったらしい)に対し、病床で「父の仇を…」とサイボーグ手術を懇願する。

四人目は大地文太。彼もジョーカーとは旧知の中だったらしいが、潜水艇の事故で死去。ジョーカーはその死を悼み、遺体を手術台に乗せる…。

三人の手術が終わり、「あとはエースだけだが…。」と呟くジョーカー。しかし振り返るとそこに桜井が立っており、ついに彼もサイボーグとなるのである。

ジャッカー電撃隊の美学


上記が第一話前半部のあらすじ。いやはや、ジョーカーはかなりダーティーな札を切っていますよね。まあジョーカーというよりは作り手というべきかもしれない。

まず桜井とのエピソードで、サイボーグになることは親からもらった肉体を捨てることだというのが強調されているけど、つまりサイボーグになることはインモラルな行為として捉えられているのですよ。
そういうふうに考えると、親からもらった肉体を親の敵討ちのために捨てるカレンは大変悲劇的な存在ですよね。

また、順番は前後するけど、大地文太は死体から蘇生されているわけで、わかりやすく一線を越えている。もう神の領域じゃないすか…。というわけで、これもインモラルな行為を是としていると捉えていいと思う。

そして東に関しては、ちょっと強引な物言いかもしれないけど、前科者とか筋者の色をチームに加えたかったんだと思う。
続く第二話は東がメインの話で、彼はクライムに殺された恩師の仇を討とうと奔走するのだけれど、その恩師というのがどうやら密輸入ライフルを扱っている。いや、堅気の人間がそんなものを扱えるでしょうか…。このように、別に明言されるわけではないのだけれど、東は過去、少なくともそういう人間と関係を持っていたんですよ。ただ、このライフルの件がなければクライムの事件は発覚せず、より悲惨な殺人事件が起こっていたかもしれない。つまり、東の過去があったからこそこの事件は解決できたわけで、延いてはそれを肯定している。悪に対抗するためには悪の力を用いることも厭わないわけです。

このように見ていくと、ジャッカーはクライムに対抗するためなら人道を外れることをも厭わない集団であることが明確に提示されていると思う。毒を以て毒を制す、それがジャッカー電撃隊の美学なのです。

花と散る美学


しかし…。これだけダーティーなヒーロー像を打ち立てたのに、はっきり言ってそれが描かれているのって1話と2話だけなんですよ!なんでやねん!
一応9話では、素人の青年(若かりし真田広之!)を特訓してクライムに潜入させたりしていて、そこには邪道を選択するジャッカーのおもしろさが垣間見えなくもない。とはいえやっぱり弱いですよね…。

そして先述の通り、この後物語が進むにつれてコメディ色や子ども目線が補強されていく。当然「毒を以て毒を制す」ようなダーティーさは見る影もなくなります。
もちろんコミカル路線もそれはそれで悪くないのです。ただ…個人的にはこの第一話に大感動したので、その路線をもっと軸に据えて展開していれば…とは、どうしても思ってしまいます。

いつか、花も咲いたかも…


今回はあまり触れなかったんですが、ジャッカー電撃隊の前半にはもうひとつ特徴があって、それはモダンで大人びた画面づくりに注力していたことです。これに関してはそれなりに継続していたんですよね。
なので『ゴレンジャー』との差別化としていくつかの要素を打ち出していて、それがダーティーさとモダンな画面だったのかもしれない。その上で前者は早い段階で不要と判断されたのかもしれない。しかし…せっかく打ち立てたのだから、もう少し継続させてほしかったな~というのが正直なところ。いつかは花も咲いたかもしれないし…。たらればですけどね。

いずれにせよ、ジャッカー電撃隊の1・2話はスーパー戦隊シリーズの中でも屈指の傑作であることは間違いないです。また、コミカル路線へ舵を切っていく様にもいろいろと感じ入ることがあると思います。未見の方々、ぜひご覧になってみてはいかがでしょうか。

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