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女性は、何かを手に入れるために何かを諦めなくてはいけないのだろうか

甘糟 りり子さんの「産まなくても、産めなくても」の解説を書かせていただきました。

解説
はあちゅう

「人生は、若くない女にどこまで意地悪なんだろう」
 本文中(第三話「ターコイズ」)に出てくるこの言葉が、読後もトゲのように胸に刺さっていた。この短編集は、卵子凍結や男性不妊など妊娠、出産にまつわるテーマを扱った七作品から成り立っている。

 驚いたのは、体験していないことがまるで全て自分の身に起こったことがあって、本作品を読みながら、自分の記憶を再度なぞっているような気持ちになったことだ。もちろん、良い小説は全て、その場にまるで自分がいたかのような気持ちにさせてくれるものだけれど、それとはまた違う感情だった。卵子凍結も不妊治療もしたことがないのに、全ての短編において「この時のこの感情を、私は知っている」と思えた。でも、それは今まさに私自身が妊娠しており、不妊治療まではいかなかったとはいえ、妊活に苦戦したからなのかもしれない。「自分に起こっていたかもしれない未来」だったから、こんなにも一話一話が、ヴィヴィッドに感じられるのだろうか。

 振り返ってみれば、私は一般的な期間内で自然妊娠出来たわけで、大げさに語る権利は持っていないのだけれど、妊娠出来るまでの焦りと苦痛をそれなりに味わったほうではないかと自分では思う。ゴールも、明確な頑張りどころもわからない期間は、たとえ短くても辛かった。本文中(第三話「ターコイズ」)に出てくる「──妊娠したいなら、とにかく身体を冷やさないことですよ。ルイボスティーとか飲んでみたらどうですか?」はまさに、私自身が妊活中に言われた言葉だった。そして、その後に「そんなの、とっくに知っているし、ルイボスティーも飲んでるよ」もその時の私の心情そのままだ。妊娠後のつわりや心身の変化も、全く辛くないと言っては噓になるけれど、経過やゴールが見えているだけ、妊活よりもだいぶマシだと私は思っている。

 パートナーの説得・気持ちのすり合わせ期間からカウントすると「欲しい」と思ってから、実際のトライを始めるまでに約一年を要した。体のトライさえ出来ればすぐにでも妊娠出来るはずと安易に考えていたため、パートナーが子づくりに前向きになってくれてからは、数ヵ月のトライが実らないだけで、絶望的な気持ちになった。結局、排卵誘発剤を使用してのタイミング法で妊娠したわけだけれど、妊娠した今も「もしかしたら、私だってもっともっと長い治療期間を要していたかもしれないのだ。他人事では無かったのだ」という気持ちは消えない。

 妊娠が「自分事」になるまでは、正直言って、この手の話が苦手だった。会社の同僚たちが出産や保活の苦しみを語っていても、どこか遠い世界の出来事のように感じていたし、お互いに忙しい予定を調整してなんとか作った貴重な時間に、そんなことばかり話す同僚たちを、言葉は悪いが少し退屈に感じてしまったこともあった。私は、仕事や趣味や恋愛の話がしたいのに、あるいは、少し前まではそういった話題で楽しく盛り上がれたはずなのに、出てくるのは子供の話ばかり。妊娠、出産をすると、人生が自分主体ではなく子供主体になってしまうのだろうか、と少し取り残されたような、言葉に出来ない歯がゆさを感じたこともあった。不妊治療のニュースは、関心が無いとまでは言えなくとも、「どこかの誰かのニュース」であって、そこに当事者意識は無かった。「子供が欲しい」という意志は幼い頃から明確にあったので、三十五歳というタイムリミットは頭の中に常にあったものの、それでも「自分は大丈夫だろう」という無根拠の自信があったと言えるだろう。他のことには自信が無いくせに、どうして子供を作る能力には疑問を持ったことも無かったのか。

 産むことが現実的になり、頭の中に妊活に関する新しい知識が入るごとに、自分を含めた世の中の、この問題に関する無理解・無関心に、痛みを覚えるようになった。なんて現金なのだろうと自分でも思うけれど、世の中は、当事者にならないと見えない世界だらけなので、私と似た気持ちを抱えながら生きている人もいるはずだ。昔は、友達の子供の名前も性別も何度聞いても覚えられなかった。出産祝いに「おくるみ」が欲しいと言われて、それが何かもわからなかった。そんなことよりも、世間で「独身・いき遅れ女」と見られることの苦しさや、この先の仕事におけるキャリアについての不安がよっぽど勝っていたのだ。子供を産んだ友人や先輩たちとは、悩みの段階が違いすぎて、わかりあえなかった。今では、今後私が味わうであろう悩みを彼女たちは先取りしていたのだな、と思える。本作は、主にテーマを「産むまで」に限定しているけれど、実際には、産んだ後もまた、産後のマタニティブルーや子育てや、それに伴うキャリアの悩みが出てくるはずだ。この手の選択に正解はないのだとわかっていても、自分が選んだ道が果たして正しかったのかどうか、思い悩む日々がそれぞれに訪れるだろう。

 本作品の中には、キャリアと、「産む生き物」としての年齢制限の狭間に立たされて悩む女性の話も出てくる。第二話の「折り返し地点」は、人生を懸けてきたマラソンと、子供を持つこととの選択の間で悩む主人公の話だ。不確かで、もしかしたら輝かしいものにはならないかもしれない自分のキャリアと、パートナーの望む「ごく当たり前の、ありふれた家族」という幸せを天秤にかけることなんて、本来ならば出来ないはずだ。だってそれは、同時に望んでも許されるべきものだろうから。少なくとも男性に生まれていれば、両立が可能な夢だったとは言えないだろうか。けれど、現状は女性の身体でしか出産は出来ないものだから、女性は得てして、プライベートの充実と、キャリア上での成功の二者択一を迫られる立場にある。
 二〇一九年春に、「働く女は、結局中身、オスである」という女性誌のキャッチコピーに批判が殺到し、炎上したけれど、現実的に「オスでなければいけない」状況を体験した女性が多いからこそ、生まれたコピーではないだろうか。

 実際、私自身は、キャリアをスタートさせた広告会社で、男性と対等で働くには、女性であることが時に不利であることを何度も実感した。希望の部署にようやく異動した先輩社員が、出産を機にバックオフィスに転局した時の衝撃とやるせなさも、昨日のことのように思い出せる。もちろん、それは彼女自身が望んだことなのかもしれないけれど、出産後、子育て中の女性を十分にバックアップ出来る制度が整っていれば、選ばなくてもよい選択肢ではなかったかという思いは拭えなかった。こうやって女性たちは、半強制的に選ばされた選択肢を、まるで自らが望んだかのように受け入れ、男性たちは彼女たちの想いを受け止めないまま、あるいは気づきもしないまま社会は回っているのだろうかと考えると、その理不尽に胸が突き動かされた。

 今の私はフリーランスという立場で働いているけれど、自分が妊娠してからは、心身の変化についていけず、仕事量を減らし、内容も変えた。眠りつわりで、朝から晩まで眠るだけの非生産的な生き物に成り果てた私は、それに伴い、収入や人に会う機会もずいぶんと減った。そして、その生活はそれまで私を支えていた自尊心をあっけなく奪っていったのだ。図らずも、仕事は収入だけではなく、自信を作ってくれていたのだと気付かされた。出産後、以前と同じように仕事に戻れるのかどうか、よくわからない。幸いにも理解あるパートナーがいてくれるけれど、我が身で体験する出産と、横で見ている出産が同じものとは思えない。そもそも産後の物理的ダメージは女性が一人で負わなければならないはず。

 やっぱり女性は、何かを手に入れるために何かを諦めなくてはいけない運命なのだろうか。そんな葛藤は本書でも、何ヵ所にも亘って出てくる。
 ──「はっきりいうけど、卵巣は人間の臓器の中でもっとも劣化が早い臓器なのよ。そういわれて、ぞっとしました。社会や組織の中にいる自分と、母親になる生き物としての自分は、まったく一致しないんだなと思いました」(第三話「ターコイズ」)。

 子供を産む人は産まない人より偉いだとか、子育てを経てようやく一人前の大人になれるだなんてことは一切思わないけれど、「母親になる」ということは、人生を根幹から変えてしまう体験であるかもしれないことは認めざるを得ない。その出発地点である「妊娠」にも、これだけのドラマがあるということを、この本の中の七つの物語が教えてくれるだろう。読んでいくと、男性も女性も、誰もがきっと「これは私の物語だ」と思える登場人物に出会える。

 小説はビジネス書と違って、答えを教えてくれる読み物ではない。小説が読者に与えてくれるのは問いだ。読み終わった後は「自分はどういう選択をするのか」「社会問題にもなっている妊娠、出産にまつわる課題に自分はどう取り組んでいくのか」を迫られるだろう。それは同時に、自分の生き方を深く見つめ直すことに他ならない。

●これまでに書いた解説もnoteで公開しています。

夢を叶えた先にあるもの|はあちゅう @ha_chu|note(ノート) https://note.mu/ha_chu/n/n3a3e670b87be

「会社」には一体何があるのだろうか|はあちゅう @ha_chu|note(ノート) https://note.mu/ha_chu/n/n19809bdfd043

誰かの「当たり前」を更新し続ける人になりたい|はあちゅう @ha_chu|note(ノート)
https://note.mu/ha_chu/n/ncc0c74ff9246


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