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人生は資源の配分ゲーム

1.自己紹介

昭和50年代生まれ、大卒既婚子持ちのサラリーマン。仕事の事情により現在単身赴任中で、趣味は読書と料理と投資。以前はゲームもよくやっていたが、最近はめっきり手を触れなくなった。理由は後述。
自分で書いておいて何だが、全く面白みのないプロフィールである。
40数年生き、企業人として20年数年、親として10数年を経てきた。平均的な日本人男性の寿命が81歳程度ということなので、自分の人生は折り返し地点に到達したと考えて差支えないと思う。
これまでの経験を踏まえ、残り半分の人生を過ごすための振り返りと言う意味で記事を書いてみようと思い立った。

2.人生は死という共通ゴールへの過程

人生は終わりのない苦行ではない。その道のりに長短や高低差、物資の充足状況の差はあれど、皆例外なく死というゴールに向けて一方通行に進む。
私の好きな本、ショーペンハウエルの「幸福論」に、幸福とは「生きていないよりは断然ましだと言えるような生活のこと」とある。随分ハードルを引き下げるものだと当初は思ったものだが、最終的には生きている間に得たものは全て手放すこととなるわけで、一時的な快を持続的に発生させることで幸福を実感するという生き方よりは遥かに実現可能性の高い、妥当な目標設定であろうと認識を改めた。
敢えて付け加えるとすれば、今わの際に「色々あったが差し引きプラスのまずまず良い人生であった」と思えれば大成功と言えるだろう。
とすれば、良い人生とは人に羨まれるような財を成すことでも、高い地位に上ることでもなく、プラスの心情でレースを終えること、と思う。

3.人生は資源の配分ゲーム

平均80年に渡る長距離レースを完走するためには、有形無形様々な資源が必要となる。大抵の物的資源は金銭で購入できるため、金銭のみに焦点が当たりがちだが、金銭のみが人生の価値を決めるわけでは当然ない。
大病を患っていたり、信頼に足る人もなくたった一人で黄金の山を抱いて眠る人間は、例えその人が大富豪や高い地位と名誉を持っていても不幸に見える。一方で、愛情に満ちた家庭であっても極貧に喘ぎ明日の糧にも困る状態もまた、幸福とまでは言えまい。要はバランスなのだ。
身体と精神の健康を人的資本、家族や友人、職場といった社会資本、それに加えて金融資産の3種類の資本を互いに交換したり、メンテナンスしながらセーブ・ロードなしで「人的資本ゼロ(=死)時に差し引きプラス」を勝利条件とするゲームが人生と考える。

4.攻略は可能か

人生をゲームに例えるのは不謹慎という向きもあるだろうが、そう考えたほうが適度に緊張感が抜けて良いと思う。
元々ゲームが趣味と冒頭に書いたが、国家経営や国盗りもの、いわゆるシミュレーションゲームが好きでよくやっていた(今でも少々)。限られた資源をどの施設に回すか、軍備と内政のバランスをどうとるか、どの隣国と協調し、どの国と敵対するか、それぞれの施策のトレードオフや結果を考えながら目的を達成する。こちらはセーブもロードもできるので過度に冒険的、実験的な試みができるものの、やはり作り物ゆえの限界はあり、現実の複雑さとは比較すべくもないため、一度こうした考え方が根付いてしまったらどのゲームも味気なく感じられてしまう。
何より、このゲームには攻略法は基本的に存在しない。一般的に「強い」とされる戦略は当然あるが、それが本人にとっての最終的な勝利条件と合致していなければ役に立たないからだ。ゴールは同じだがルートや何に重きを置くかは決められていない。自分が自分なりにそこそこ納得できる道のりを進めばよい。難易度を決めるのは自分、ゆえに攻略法は人の数だけある。

5.終わりに

SNSの流行で、なんだか自分よりうまくやっている他者が以前よりずっと可視化される時代になり、少子高齢化やそれに伴う世代間不公平が日々タイムラインに流れるいま、若い世代は閉塞感や絶望感を感じているのではないかと思う。一方で、医療水準や教育水準、治安や各種インフラ、環境に関しては今の老人・中年世代よりも圧倒的に優れたものを生まれながらにして享受している。当たり前の恩恵はそれが維持されている限りそれと認識しづらいのは理解できるが、今の老人は後50年生きることはない。
自分達の持つ最大のアドバンテージ、残り時間の長さを有効活用して自分なりの攻略法を開拓していってほしいと思う。
見返してみてなんだかとりとめのない文章になったとは思うが、初の試みとしては意外に書けるものだと思った。

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