私はMBTI診断が好きだ。 「人間を16タイプに分けられるわけがない」 「血液型や星座占いみたいなものだ」 などと言われることもあるけど、私は心からMBTIを知れてよかったなと思っている。 私自身はINXJ (INFJ or INTJ)と診断された。外ではESFPっぽく振る舞って信頼している人の前ではINFJで自分1人きりになるとINTJになる。環境や人に合わせて姿を擬態し、いつのまにか自分の感情がわからなくなる傾向にある私にとってMBTIはありがたかった。 現在だけで
悩みなんてなさそうだよね と君が羨ましそうにいうから 確かにあんまりないかもしれない とおどけた感じで返してみた もしかしたら君の悩みは大きすぎて 私の悩みなんて悩みと呼べないのかも、 そんなふうに思ったから。 ああ私は悩みが少ない人間なんだと 君の言葉を信じるようになった。 言葉の影響力は怖い。 人と話すのはずっと怖い。
帰り道、綺麗な花が集まる木を見つけた。 なんとか形におさめたいなと思ってスマートフォンを向けるけど、無駄に明るい加工が趣を消してしまう。 ナイトモードなんてなくていいとおもった。 友達と夜に川沿いを並んで散歩していた。 写真撮ってあげるよとスマーとフォンを向けると 、その子は思った以上に笑っていてビタミンみたいな表情をしていた。知れなかったはずのあなたの顔を知れて嬉しかったよ。 ありがとうナイトモード。
私は確実に自分のことを天邪鬼だと思っている。できれば人と違う思考の仕方をしていたいし、違うことがしたいという気持ちがある。でも同時に、誰かと感動を共有したい、同じものに心を震わせる瞬間があればいいとも思う。 「Threads」という新しいSNSアプリがリリースされた。それに対する意見は人それぞれでTwitterをよく使う人は「Threadsはキラキラしていて気持ち悪い」、Instagramをよく使う人は「Twitter感覚で友達とゆるく繋がれて嬉しい」、慎重な人は「絶対流行
note投稿をできるだけ続けていこうと思っていたのに早くも5日間空いてしまった。 ここ1週間は毎日人と会って話す機会があって、なかなか1人の時間を取ることも深く考えることもできず、人と会いながら早く家に帰って落ち着きたいということばかり考えていた気がする。 外で色々なものを見たり人と会って話したりすることで、学べるものはたくさんあるはず。わかっていても、1日を振り返った時に“人と会って疲れたな”と思ってしまうのはどうもやめられない。 人疲れする原因を考えてみたら、すぐに
幼い頃にスケート公演を観たことがあるらしいけど、記憶が朧げでほぼ初めての気持ちでワクワクしながら会場へ向かった。 座席がアリーナ席センターの1列目という特等席で、アイスリンクのすぐ近くだったから夏なのに感じる肌寒さが高揚感を増してくれた。 2時間ノンストップの公演が終了して、指先は冷たくて思うように動かないし、心臓はドキドキして「すんごいものを観た」と思わず溢してしまった。 アイススケートの公演はオリンピックのイメージがあって、1人で美しく滑って表現していくのかと思って
優しいあの子、 スピッツの大好きな曲のタイトル。 友達とフェスで一日中歩いて飛んで叫んで楽しみきった日の帰り道。電車で一つ席が空いて友達がすぐに座っていいよ、と譲ってくれた。その時点でわたしは、こんなに足に負担をかけた日の終わりに自分を犠牲にしてまで人に優しくできるなんて…と感動しながらありがたく席に座った。 わたしは目的地までの駅数までちょうど半分になるところを計算して、 「半分になったから席変わろう、立っててくれてありがとうね」 と声をかけた。するとその子は、
動物がすき。 その中でも特に犬と猫がすき。 レッサーパンダとハリネズミとキツネもすき。 今日はボイストレーニングに行った。 月に2回、ボイトレの先生のお家にお邪魔して声のようすをみてもらっている。 そこに猫が2匹いて、はじめの頃は私がやってくる物音で即座に逃げて2階へ行ってしまっていたのだけど、最近は一定の距離を保ちながら私をじーっと見つめてくる。愛おしい。 そして今日はレッスン中、大きな声を出しているというのに全く逃げず、毛づくろいをしたり、体全体を床に密着させるくらい
「みんなから良い人と思われたいのよ」 ドキュメンタリー映画「ミス・アメリカーナ」で、テイラー・スウィフトがそう話していた。承認欲求をひしひしと感じるこの台詞もテイラーが言うと素敵に聞こえるのはなぜだろう。 “みんなから良い人と思われたい” わたしも幼い頃から思い続けてきたことだった。 良い人と思われないと心がくるしいから、 「良い人じゃない=悪」とおもっているから、 良い人であれば自分の存在意義が保てるから、 理由は色々あるけどとにかくやめられない。 八方美人でいること
“気づかなかった” という言葉に弱い。 自分が誰かに気づいてもらえないのも悲しいし 誰かのこと気づけない自分を恨むこともある。 感情とか目に見えないものには人一倍敏感で 常に人の顔を伺って生きているくせに がらっとイメチェンした髪型とか、 新しく変えた香水の匂いとか、 いつもより浮かない顔してる表情とか、 目に見えるものの変化にほど疎い。気づけない。 目に見えないものを大事にしたい というのはよく聞く話ではあるけれど、 わたしは今はとにかく目に見えるものから 大事にして
人と親密な関係になることが苦手だ。 いつからだろう。小5の頃くらいからかな。 だれかの言ってほしい言葉、考えていることが視覚的にみえたような気がしたのは。 目の動きやちょっとした仕草から感情を見抜いて、相手の理想の自分になることに必死だった。誰からも嫌われたくなかった。 孤独が好きなくせに多くの人から好かれたい。変なところで正義感が強い。私の悪いところ。 高校生のころ、仲良かったはずのグループのメンバー同士が仲悪くなってしまったときもどうにかして仲を取り持とうと、心を
眠れない夜がこわいなら いっそのこと眠らない夜にしたいと思う。 今日は絶対に眠ってやらないと心に決めて 真夜中、外へ出歩く自分を想像する。 そんなときに眠らない人のための場所がどこかにあればいいなとおもった。 眠らない人がぞくぞくと集まって、 それぞれが一人きりの時間を過ごす。 互いに話をするわけでもなく、お気に入りの本を読み返したり、空想に耽たり、あたたかいスープを飲んだり、遠い国で生まれた音楽を聴いたり。 “一人だけど独りではない” そんなちょうどいい距離感で 夜を
思いつきで本屋さんへ寄った。本を見にきたはずが、どうしても人ばかりに目がいってしまう。 自己啓発本を立ち読みしている社会人2年目くらいのサラリーマンは仕事で上司にひどく叱られてやるせない気持ちになりつつも、自分をどうにか変えてくれるような一冊を求めてやってきたのかな、とか。 資格取得のための参考書がズラーっと並ぶ棚のまわりでウロウロしている若者はやりたいことをみつけようと、あるいはやりたいことに向かって必死にもがいている最中なのかもな、とか。 児童書コーナーをゆっくり眺
深く考えたことだけを綴ろうか、 日々のなんでもないことを残そうか。 自分の考えを整理するためにまとめようか、 人に読まれることを前提にして書こうか。 とにかくまだスタイルを迷っているのですが、眠れない6月の深夜4時にnoteを投稿すると決めてしまったので投稿します。良い方向にむかいますように。よろしくお願いします。