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なにを見ているかではなく、なにを通して見ているか

『7つの習慣』の中にあった言葉と
そこで紹介されていた例を一つ紹介しようと思う

ある日電車の中でとても騒がしく
周りにも迷惑をかけている2人の子どもがいた

このエピソードを体験した本人の横には
その親が何も言わず、目を瞑って座っていた

さすがに注意すべきだと感じ
親に対して叱ってもらうように伝えた

しかし、親は次のように答えた
「つい先程妻、つまり2人の母親が亡くなり
どうしたら良いかがわからない。」と


もちろん"普通に"子どもを見たら
教育がなっていないと感じるだろう

でも、それは自分の経験から獲得される
"普通"に過ぎないのだ

相手の行動や言動にどんなバックグラウンドがあるのか

全くわからないまま自分のレンズで物事を見て
自分の価値観で判断している

私たちは皆、世界をあるがままに見ているつもりでも
実際は私たちのあるがままを見ているだけなのだ

自分の中の
普通、常識などの当たり前なことは
絶対的なものではないことを自覚すれば
物事を客観的に見られるようになると思う

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