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短編小説「螺旋がつなぐ絆」

 前日までの雨で南国の森の中のように湿気が多い梅雨の夜。

 古い木造建築を思い出すような白檀の香りの煙が漂う中、あまり親しくない人達と集まって酒を酌み交している。
 こんなに気まずい雰囲気で酒を飲む機会はなかなかないよな…と思いながら、下敷きのように硬いスルメをかじりつつ、ビールが満たされて汗をかいた冷たいグラスを口へと運ぶ。

 今日は父の通夜、といっても妻の父の通夜である。
 四国の海沿いの田舎町にある妻の実家に親族や父の友人が集まり、僧侶による我慢比べのような長い読経、いつもルールがわからなくなるお焼香など、ひと通りの儀式を済ませ、妙にごちそうが並ぶ通夜振る舞いの会食を終え、続けて遺族だけが残ってろうそくや線香を焚き続けながら夜通し故人に付きそう「棺守り」を行っている。「棺守り」といっても酒を飲みながら親族で話をしているだけなのだが、この「棺守り」こそが本来の通夜なのだと、祭壇の前に座る義母が義父の写真を見ながら何かを思い出すように言葉を噛みしめながらゆっくりと静かに話している。数珠を握る手は握ったり開いたり、何か見えないものを探しているように見えた。

 妻の実家は祖父の代からクリーニング店を営んでいたが、半年前に義父が病気で入院したのをきっかけに廃業した。作業場の機械を撤去して生み出された広いスペースは、急ごしらえのリビングとして家族がにぎわう場として使用されていたが、今、義父の仕事場であったその場所は祭壇がそなえられた通夜の会場となっている。
 
 僕の実父は幼少の頃に亡くなっている。デジカメの無い時代に撮影された古ぼけた写真と、二年前に亡くなった実母から聞いていた話だけが父の面影を知る手立てではあるのだが、顔の形を写真で見たことがあっても一緒に過ごした記憶のない父は僕の思い出の中にはこれっぽっちも存在していない。それを少しだけ寂しく思っていたが、妻の父と出会って少しだけ「自分の父親」を感じることができた。何度か酒を酌み交わし、一緒に釣りにもでかけた。ほんとに短い時間ではあったが父親という存在との思い出をつくることができたのは感謝したい。そんなことを思いながらグラスとスルメを脇に置き、義母越しに義父の写真が飾られた祭壇に向き直して手を合わせた。

 しばらくすると祭壇の前に座っていた義母が「片づけをしてきますね」と立ち上がり、台所へと立ち去った。ふと腕時計をみるとあと三分ほどで十一時になる。この黒い文字盤の時計は数少ない実父の形見の品である。十二時の場所に銀の薔薇のあしらいがある四十年以上の年季が入ったシロモノで、腕にはめておくだけで実父に守られているような気がして、何か悩みがある度にぼうっと眺めたりしている。
 
 義母いわく「本当の通夜」である「棺守り」が始まってからは、女性陣は片付けやら形見分けやらで別の部屋に行ってしまい、今は男性陣だけでまったりと酒を飲み始めている。部屋には五人の男性がおり、時々、出たり入ったりしているが、その度にビールやらおつまみが増えている。ほとんど知らないメンバーばかりで少々、いや、かなり気まずい。自分だけ話す話題が無いからどうしても酒がすすんでしまいそうなので、酒を飲むスピード調整を兼ねて、時間と気まずさをごまかすように不自然なほどゆっくりとスルメを食べている。

 頼みの綱である妻は、皆が「大森のおばさん」と呼ぶ高齢の親族を自宅まで送りに行ったとのことだった。「大森」というのが姓なのか地名なのかわからないが、この「大森のおばさん」なる人は高齢ながらかなり元気で発言力が強い親族の重鎮で誰も逆らえない存在なのだが、義父が亡くなったことで気落ちしており皆が心配している。僕から見るとあまり気落ちしているようには見えなかったので普段はどれだけ元気なんだろうか、などと思っていると、居合わせている男性陣の中で唯一、名前と顔がはっきりしている義父の弟である健司さんから話しかけられた。
「の、のぞむさんは、沙織ちゃんと、け、けっこんして何年だっけぇ?」
 沙織ちゃんとは僕の妻のことだ。健司さんの姪にあたることからとても可愛がられていたと妻から聞いている。
「ふたりが二十九歳の時に結婚して、今は三十四歳なのでちょうど五年になりますね」
 健司さんは何度もうなずきながら僕のコップにビールを注いでくる。
「もう、お腹いっぱいで飲めませんよ!」と軽く拒否するが、お構いなしに注いでくる。注ぎ返そうとすると健司さんは左手でそれを制して僕からビールの缶を奪い自分のコップに注ぐ。僕が一杯飲む間に、健司さんは三杯は飲んでいて、かなりのハイペースから顔がどんどん赤くなり、呂律がまわらなくなってきている。
「健司君、お兄さんのお通夜に飲み過ぎなんじゃないか?俺たちの大切な仕事を忘れて酔いつぶれたら本末転倒だよ!」と、誰だか知らないおじさんがたしなめてくる。たぶん、義父の妹、健司さんの姉のご主人だと思うが、そういう本人の顔は赤ちょうちんのようになっていて健司さん以上に危うい状態に見える。

 実は僕たち男性陣は、お義母さんから「線香の火を朝まで絶やさないように」と大切なミッションを与えられている。昔は普通の棒状の線香だったのだろうが、ここにある線香は蚊取り線香のように渦をまいた「渦巻き線香」で円錐状に吊り下がっていて、ゆっくりと時間を掛けて煙へと姿を変えていく。部屋中に線香のにおいが漂う中、線香を見守るだけでは退屈なので、それがさらに酒の消費に拍車を掛けている。

 だんだんと男性陣がグダグダになり、床で渦を巻くように寝転んでいく中、お義母さんが顔を出して「ちゃんと線香を見ておいてくださいよ」と声を掛けてきた。僕以外の男性陣が泥酔一歩手前の中、健司さんだけが気を吐いて「あ、兄貴のお通夜だけぇ、お、おれが線香は見守るぅ!」と言いながら立ち上がり、おぼつかない足で僕の方にふらふらと歩いて来てしゃがみ両肩を掴んできた。
「の、のぞむさんは休んできなぁ。疲れただろうがぁ…」そういうと、今度はふらふらと祭壇に向かい、置いてあった煙草とライターを手に取り、「このたばこ、兄貴のかなあ」と言いながらおもむろに吸い始めた。
「あらあら、健司さん煙草はやめたんじゃなかったの?」と義母は言いながら義父に面影の似た健司さんを見つめ、少し微笑み、そして少し寂しそうに部屋を出ていった。
 
 煙草の煙と線香の煙が渦を巻き、部屋にもやがかかってきたので、煙草の煙が嫌いな僕は「ちょっと外の空気を吸ってきますね」と言いながら、その辺にあった誰かのサンダルをひっかけて元はクリーニング店の出入口だったガラスの引き戸をガラガラと明けて外へ出た。
 
 妻の実家は海から近く歩いて5分も掛からない。なんとなく海が見たくて潮の香りがする方向へと歩き出した。暗い砂利道を歩いてほどなく到着した海は濃い湿気でむせるようだったが少し肌寒く、波の音が妙に静かで少し恐ろしい気がして「ぶるっ」と震えた。

 義父ともなんどか釣りをした砂浜をゆっくりと歩くとサンダルに砂が入ってくるが、ざらざらした感触が子供の頃に戻ったような気がして懐かしく感じる。少し歩いてから砂浜に引き上げられていた古ぼけた白っぽい小舟の縁に腰を掛けた。体の重さで砂に沈み込んで少しぐらぐらしたが、ある程度沈むと大人しく安定した。
 月が見えない空を見上げると星がたくさん見えた。妻の実家周辺はほんとに何もない田舎だが、魚釣りができること、あと、星がきれいに見えることは気に入っている。
 真っ黒な海ときらめく星空。海と星空のはざまにある水平線近くには、沖に出ている船の明かりや島の明かりが見え隠れしている。なんとなく、「生」と「死」の境目を見ているような気がして、少し気が遠くなった。

 腕時計を見ると時計の針がちょうど文字盤の薔薇のあしらいに指しかかるところだった。
「あっ、そろそろ戻って線香の確認をしないと」
 そう思った瞬間、時計の針が逆回転に、文字通り反時計まわりにぐるぐると回り始めた。恐ろしいほどのスピードに思わず立ち上がり、時計の故障だろうと左腕を強く振ってみる。三度目に振り下ろした瞬間、「ふっ」と星空や民家の明かりが消えて辺りが暗くなった。だんだんと目が慣れてくると僕は細くて灰色の道の上に立ちすくんでいた。

 道は幅一メートルほどで左右には何も無い。手すりの無い橋のようになっていて足を踏み外すと真っ暗な奈落の底に落ちそうだ。普通なら危なくて動きたくないシチュエーションだが、心の中から沸き起こるあがなえない義務感に背中を押され、目の前にある道をゆっくりと進むことにした。どこか懐かしい香りがして少しザラザラした感触の道を歩くと道は左にゆっくりとカーブしながら少しのぼり坂になっていた。いくら進んでも何も景色は変わらないが、山手線内回りのようにずっと左に回り込んでいることだけはわかる。あと、姿は見えないが、前にも後ろにも誰かがいるような気配がする。怖さのかわりに懐かしさを感じる誰かの気配を感じながら慎重に足の裏で感触を探りながら道を進む。
 だんだんとカーブが急になり、ごく狭い範囲をぐるぐるまわっているようになるとほどなく終着点に辿りついた。行き止まりの先は何もなく、ただ真っ黒な海のようだった。前後にあった誰かの気配は変わらずそこにあるような気がするが姿は見えない。
 しばらく立ち止まっていると後ろから何か熱いものが迫ってくることがわかる。振り返ると煙を上げながら足元が燃えていて、今まで歩いて来た道はなくなっている。
「あぁ、これは渦巻き線香の上なんだな」と気づいたが、だんだんと熱さに耐えられなくなってきた。後ろの道は炎と煙、前の道は真っ暗で足を踏み出せない。すると、いままで近くに感じでいた誰かの気配がスポットライトを当てられたようにはっきりとしてきて、前の気配は時計をつけている僕の左手を引き、後ろの気配は僕の背中を押し始めた。このままでは暗闇に落ちてしまうが不思議と恐怖はない。
「あぁ、これは義父と… 父なんだろうな」
 なんとなくそう思いながらふたつの気配のみちびきに身体をゆだねて右足を踏み出すと、そこにはしっかりとした地面が現れていて安堵した瞬間、とんでもなく強いライトで顔面を照らされたように明るくなり目が覚めた。

 気がつくと浜辺から家に向かって歩いていた。左腕の時計が街灯に反射して光った気がしたので左手首を返して視線を配るともうすぐ一時になるところだ。砂利道を急ぎ足で家に戻り引き戸を開けて部屋に入る。
 あわてて祭壇に向かい渦巻き線香を確認すると新しい線香に交換されていた。「ああ、誰かが交換してくれたんだな」と安堵していると健司さんが起き上がってきた。
「のぞむさん、兄貴の線香換えてくれたのか。うっかり寝ちゃってたよ。ありがとな」
 そういいながら軽く頭を下げ、グラスを渡してきてビールを注いでくる。グラスを口に運ぶとぬるいビールが喉に入ってくる。
「健司さん、もうビールぬるくなってますよ」
「ああ、悪い悪い!」
 そんな話をしていると、他の男性陣も起き上がってきた。
「ビールがぬるいなら日本酒にしよう!」と誰かが言い始めてバタバタと準備していると、玄関がガラガラと開いて妻の沙織が帰ってきた。
「ごめんごめん!大森のおばさんのとこで、うとうとしちゃってた!」
 そう言いながら妻は部屋に入り、僕に6缶パックのビールを2パック渡してくる。
「あと、そろそろビールが切れる頃だと思ってコンビニで買ってきたよ」
 男性陣は「さすがは沙織ちゃん!」とか言いながら僕の手からビールを奪い取っていく。
 そんなことをしていると、義母が部屋に入ってきた。
「あらあら沙織、遅かったのね」
「大森のおばさんのところでね…」という妻のいいわけを聞きながら義母が渦巻き線香を確認する。
「あら、ちゃんと線香を変えてくれたんだね」
 そういえば、いつのまにか線香が交換されていたことを思い出した。男性陣を見回すと健司さんが僕に向かって会釈をしている。それを見た他の男性陣も会釈をしてくる。僕は義母の方に向き直したが祭壇に向かって手を合わせていてその表情は読み取れない。

「今度はわたしも飲もうかな」という妻の声を皮切りに、改めて皆で酒を酌み交わした。妻がいるからなのか、僕が線香を交換したのと勘違いして感謝されているからなのかわからないが、先ほどまではよそよそしかった男性陣とも打ち解け、義父の子供時代の話などで盛り上がった。
 もう知らない人はいないし気まずくも無い。実父のことも聞かれたが、なぜかいつもより鮮明にイメージが湧いてうまく説明できたように思う。

 結局、誰が線香を変えたのかは最後までわからずじまいで煙に巻かれたようだったが、この一件でようやく親族に仲間入りできたような気がする。
 渦巻き線香の煙越しに、祭壇にある義父の写真を見ると視界がぼやけて実父の写真のように見えた。その顔は笑っていた。記憶にないはずの実父の生き生きとした姿が頭の中で鮮明になってきて、なんだか実父の通夜も一緒にしているような気持ちになった。

 僕は祭壇の前に座り直し、二人の父の気配に向けて手を合わせた。

 螺旋のように渦巻く線香の白い煙が生き物のように揺れていた。


【コメント】

TR科目「短編小説1」で提出したレポートを少しだけ手直ししたものを公開します。

小説を書いたのは初めてで、あまり自信はなかったのですが88点のA評価をいただくことができました。テストは92点だったのでトータルで90点の成績になりました。同じタイミングで文芸実践会に向けて小説の資料を読んだりしながら、プロットを作って取り組んだおかげだと思います。

自分で読んでもセンスが感じられない文章ですが、背伸びせずに地道に書ききったと思います。これが今の段階の自分のスタイルなんでしょうか。
これから小説をたくさん書けば上手くなっていったり、自分なりの新しいスタイルを確立できたりするのでしょうけど、卒業制作で選ばなければ小説を書くことはもうないと思うので、個人的に貴重な短編小説になりました。

次年度からの新しいカリキュラム次第では、また小説を書くこともあるかもしれませんけど。あと、文芸実践会の課題が小説になったら書くかもです。

小説を書いたことがなくても、資料を読んだりしてキチンとプロットを作れば出来栄えはともかく書けることがわかりました。

あと、先生の手書きのコメントが丁寧で詳しくて感激しました。内容もとても参考になりました。全体としてとても勉強になる科目でした。

ありがとうございました。

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