見出し画像

才能ってヤツは…。

人間だもの。調子の良いとき悪いとき、ある。

今日はまさに調子が悪い。寒暖差のせいだ。昨日まで暖かかった埼玉県。20度の気温が、今日は10度前後。この寒暖差は腰痛持ちには厳しい。

何を書いたらいいか、わからない。書きたいことは山のようにあるし、私は書かなければならないのに。頭が回らない。

そんなとき、どうすればいいのだろうか。

『魔女の宅急便』に出てくるウルスラという画家の少女。彼女の言葉を借りるのなら『描いて描いて描きまくる』ジタバタしてみるのだ。それでも描けないときは?そう『何もしない

人間の身体というのは正直で、そんなときは疲れが溜まっていたりする。肉体的な疲労だけじゃない。精神的苦痛なんてのも立派な疲労だ。そんな日は、寝るのだ。好きなことだけに囲まれて寝るのだ。

そのうち書きたくなる。

私は今、まさに『書いて書いて書いて書きまくって、やめる』を繰り返している。ジタバタしている。なんとなく方向は見えているが、まだ何を書くべきなのか、何をすべきなのか迷っている。小説、エッセイ、日記…。私が一番に輝ける場所はどこなのだろうか。

私は何者でもない。だからジタバタする。

魔女の宅急便で主人公のキキは、『魔法は呪文を唱えるのではない。血で飛ぶ』と。ウルスラはこれをスキだと言った。

そして、『魔女の血』『絵描きの血』『パン職人の血』それは『神様かだれかがくれた力』なのだと言った。

私は、このウルスラの言葉が非常にスキだ。

私に『文字書きの血』が流れているのかは、わからない。それでも『神様かだれか』は私にひとつくらい『才能』を与えてくれても良いと思ってる。

その才能は、ある日突然『覚醒する』ものではない。私は『天才』じゃない。危機感を前にして突然開花するなんてことは起こりえない。

だから、ジタバタしている。

以前、二万文字にも満たない短編小説を書いた。でも書いても書いても気に食わなくて、10回以上改稿してしまった。私に才能が無いばかりに…。何度も何度も書き直したのだ。

天才であれば、才能があれば、とっくの昔にベストセラー作家だっただろう。

ジタバタするのはカッコ悪い。

映画の主人公のように、天才でありたかったと何度も思った。何をやってもうまくいかない。才能なんて欠片もない私は、他人が恨めしい。

でもいつの頃からか、『才能ってやつは、結果だけを見て他人が勝手に呼んでいるもの』なのかもしれない、と思うようになった。

他人の評価は間違いなく気になる。でも、それは本懐かい?

私は才能ってやつは、書いて書いて書いて書きまくっても書けなくて、書くのをやめてぼーっとしたときに突然書きたくなる感情のことだと思う。

そんな感情、誰にでもひとつくらいあんるんじゃない?

だから、何者でなくても良いんだ。ジタバタして良いんだ。みんな持ってる才能。もう、自分を卑下しない。

『やれることは全部やった』そう言って胸を張って死ぬために、私は今日もジタバタする。

#66日ライラン


追記≪2024/04/18≫更新途切れました。無念。

腰痛作家に愛の手を(頂いたサポートは腰痛治療及び文章力向上のための書籍代として使わせて頂きます)