虚構日記 令和六年四月(壱)
四月某日
今日も店は暇である。
さきほどから私は店のカウンターでスマホをいじっている。
カラオケのフリータイムの料金や図書館の開館時間などを調べているのだ。
日中、家にいたくない。
おとといからマンションの新築工事がはじまり、朝から夕方まで騒々しい。
騒音だけならまだいい。それは耳栓でおさえることができるし、次第に慣れる。
慣れないのは振動だ。
これは厳しい。
座っていると振動が尻から伝わり、頭は痛くなり、肩はこり、吐き気がこみ上げてくるという三重苦におそわれる。
このままだと振動が細胞に変化を与え、顔が赤黒くなり角と尻尾が生え、よだれと小便を垂れ流し、人外のものになってしまうだろう。
そうなる前にどうにかしなくては。旅立てジャック。
現場の看板を見るとこの工事は半年以上続くという。無理である。耐えられない。
工事をしている作業員の方々にどうこう言うつもりはない。安全第一で工事をすすめていただきたい。
空港の近くや線路沿いなど私より過酷な住環境で生活している人もいるだろうから、過剰に騒ぎ立てるつもりもない。
ただ、しんどい。
もう家にいたくない。
私は自宅が大好きで一週間の大半を家で過ごす。
その私が家にいたくないと思うぐらいなのだ。
家にいても集中できないのでなにもする気がしない。
映画も読書もだめだ。会話も文章もまるで頭に入ってこない。
なので、さきほどから騒音から逃げることができる場所を探している。
できれば無料もしくは相当に安価な場所を希望する。
とりあえずフードコートと図書館とジムは利用できる。あとはファミレスやネカフェだろうか。
明日から半日流浪の民である。
そして店は暇なまま今日の営業を終えた。
外にでると赤黒い顔をして角と尻尾を生やしたサラリーマンが失禁して倒れていた。
四月某日
肩こりを風呂でほぐそうと近所のスパ銭に行った。
平日昼下がりのスパ銭は老人天国である。
私もいずれ銭湯通いを日課にする老人になりたいと思っていた。
朝起きたら散歩をし、ファミレスでモーニングを食べ、図書館で新聞を読み読書をする。
昼になったら一旦帰宅し軽く昼寝をしてから銭湯に行くのだ。
いずれそんな老後を過ごしたいと思っていたが、半日流浪の民となったのでこんなに早くその願いが叶うとは思っていなかった。
ともかく風呂はいい。
私は露天風呂に入りながらゲームボーイのことを考えていた。
ここに来る前にカフェで読んだ今週のファミ通でゲームボーイ35周年企画が載っていたのだ。
発売日に買ったけれどほぼテトリス専用機だった初代ゲームボーイ。
休み時間にテトリスで遊んでいると女子が性行為の話をしていた。童貞の私をからかうつもりでわざと聞かせていたのかそれとも存在が見えていなかったのか。
女子高生のリアルな性体験を聞きながらゲームをするという経験ができたのだからよかったのかもしれない。
人生で一番貧乏だった時代によく遊んでいたゲームボーイカラー。
当時、私は港町にいた。10日間の出張だった。
仕事を終えるとビジネスホテルのシングルルームでテリーのワンダーランドを遊んでいた。金がなかったので仕事終わりの飲みを断っていたのだ。
テリーは出張期間中にクリアした。おもしろかった。
出張が終わると私は人付き合いの悪いオタクという認識になっていた。
ほぼポケモン専用機だったゲームボーイアドバンス。
レックウザをゲットするのに一週間かかった。
どうせ今日も無理だろうと適当になげたノーマルボールでゲットできたとき、わたしはラオウのように拳を突き上げ叫んだ。
あの一週間は私のゲーム人生の中でも思い出深い。あまり共感されないだろうが。
自分史上最高の携帯ゲーム機であるゲームボーイアドバンスSPとパズル専用機にしていたゲームボーイミクロ。
お気に入りのゲーム機だったのだけれどゲームキューブでもゲームボーイのソフトが遊べるからと本体を売ってしまった。
あの頃の私は安易な効率を優先していた。
バカである。まことにバカで愚かである。
タイムマシンがあったら売ろうとしている自分をはっ倒す。
だが、そのためにタイムマシンを使うのはもったいないからしない。
使うならもう一度女子高生の性体験を聞きに行く。
なので、わたしが本体を売却する過去は変えようのない事実なのである。
ゲームボーイは16歳から15年ぐらい遊んでいた。
いまも楽しく生きているけれど人生で一番楽しかった時代だ。
あの頃の私は若く、元気だった。
いまはそうでもない。毎日4種類の薬を飲んでいる。それも変えようのない事実なのだ。
受け入れるしかない。
風呂から出た。ずっと湯につかっていたからか身体が重い。
脱衣所の鏡に映っていたのは老人だった。
髪は薄く、シミが増え、皮膚は垂れている。
これは80歳の顔だ。
あの風呂に入っている間に時間が進んだのか。
銭湯通いを日課にする老人になりたいと願ったからか。
震える手でロッカーを開けるとゲームボーイアドバンスが入っていた。女子高生の嘲るような笑い声が後ろから聞こえた。
四月某日
やよい軒が好きだ。愛しているとは言わない程度に好きだ。
三日ぐらいならやよい軒に住みたいと思うぐらい好きだ。
なにを食べてもおいしい。はずすことがない。そしてエレガンスだ。
やよい軒は券売機システムの店だ。
券売機、それは自分の判断力と決断力と実行力が問われる場。
自分の番が来たら流れるように食券を買い、スムーズにおつりを受け取り、さっと店内に入る。
食券の購入、それはすでに様式美である。そこには気高さと美しさが求められる。つまりはエレガンス。
もたもたするのはエレガンスではない。
だからといって、もたもたしている人に敵意を向けるのもエレガンスではない。
いまここにいる者はみな腹を空かして集まったものなのだ。
そして、ここは飢えた民衆に上質の食事を提供してくれる場なのだ。
われらはみな兄弟、みな家族なのだ。
すべての券売機の前に立つ者はエレガンスであるべき。
試されているのである、己の格調を。
美しくありたい、美しくあれ。
三元豚肩ロースの西京焼定食はおいしかった。ごちそうさまでした。
四月某日
スーパーの自転車置き場で一台の自転車が目にとまった。
自転車の前のかごにかっぱえびせんと惣菜の煮しめが入ったままになっている。
忘れ物だろうか。
ちょっとの間だからとあえて入れたままにしているのか。
それとも関係ない誰かが入れたのか。
謎だ。
とりあえず通り過ぎた。さほど解きたい謎ではない。
これが財布やスマホなら拾ってサービスカウンターに届けるのだけれど、拾ったところを見ていた人に盗んだと思われると面倒だ。
手に取る前に「これからわたしはこれをサービスカウンターに届けます」と緊張気味の大声で宣言するのも違う。
悪意がないことを証明するのは難しいことだね、ワトソン君とフードコートでコーヒーを飲んでいた。
外に出て、あの自転車がどうなっているか見てみた。
自転車はそのままあった。
かごの中はからっぽになっていた。
持ち主が回収したのか、誰か届けたのか。
どちらにしてももう私にはわかりようがない。未解決事件である。
ブックオフに寄った。
100円棚で文庫を選んでいる老人がいた。
老人はかっぱえびせんと煮しめをむきだしで持っていた。
見なかったことにした。
でも、目が離せない。
はじめからこの人のものだったのだろう。きっとそうだ。そうだろ、ワトソン君。
ワトソンは私の問いに答えることなく黙ってゲームボーイで遊んでいた。