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離婚する結婚 Part1

結婚はゴールじゃないって聞くけど、本当にそう思いながら結婚した。
当時は19歳だったけど、結婚という人生においての大きなイベントで全くテンションが上がらなかった。
いずれ離婚するだろうと思いながらの結婚をした話

妊娠発覚、大学2回生の春

妊娠が分かったのは大学2回生の春だった。
相手に妊娠したことを伝えたら「産んでほしいけどお前のこれからを考えたら今回は諦めた方がいいと思う」と。
そう言うだろうと言うことは分かってた。
だから伝える前に決めていた、なんと言われようとひとりでも産むと。
「そう、じゃあひとりで産むわ」
って言ったらしばらく説得しようとなんだかんだ言ってたけど私が聞く耳持たなかったからかため息をついて「分かった、結婚せなな」と項垂れて言われた。
その時に、結婚しても長くは続かないことを考えつつ行動しようと思った。
まず、大学は辞めないで前期まで通い休学する。
出産してから復学する。短大だったので半年で卒業出来るし、実習や免許取得のために卒業後も学校行かないといけないけど、妊娠を理由に大学を辞めようとは思わなかった。
そこまで決めて親に報告した。

祝福は私が思いっきりしてるからいい

父に報告。大学に費用などもちゃんと出してくれてここまで育ててくれた父、大学は辞めずに卒業すると決めてることを伝えたら「いいんじゃない?」とあっさりな言葉が返ってきた。
続いて母。「大丈夫なん?お父さんになんて言うの…」と父の反応を心配してたけど、そこはクリア済みなことを伝えたら安心して「あんたがそう決めたんなら頑張るしかないね」と。
相手は6つ上の社会人なので特に義両親は心配とかなく迎えてくれた。
大学へ報告。ゼミの先生はひっくり返りそうになってたけど私の決めた今後の計画を聞いて納得してくれた。
友達はみんなすごいテンションで祝福してくれた。
祝福してなかったのは1人、子の父だけだった。
若いし、仕方ないのかもしれない。父の自覚とか父性とか最初からある人の方が珍しいだろうし、いつか芽生えるのかもしれないし、芽生えなかったとしても私がその分以上に祝福してるし幸せだし、愛情も母性もあるから大丈夫。自分でもびっくりするくらい自信に満ち溢れてたのはきっとお腹の中の生命の力のせい。

3人の子宝

時は流れ、結婚から5年後には3人の子に恵まれて、色々あったけど幸せなお母さんロードを歩んでた。
妻ロードは当然微妙だったけど。
3人も子に恵まれるってことは夫婦仲が良いからとか、なんだかんだ好きだからとか言われることもあったけど、本気で言ってるんだろうかといつも思ってしまう。
妊娠って奇跡的な出来事だと思うけど、その奇跡の前の段階って奇跡でもなんでもないのに。
不妊とか何かしらの障壁があれば妊娠の前から大変な道を歩むこともあるけど、私の場合ありがたいことに完全に自然妊娠だったから。
そして3人の妊娠を一度だって喜ぶことはなかった元夫。
「もう二人目かよ…」とか言っちゃうあたり本当に頭も悪いなって思ったし
最悪だったのは末っ子の妊娠の時。
妊娠初期で謎の肝機能障害に襲われ、産婦人科で「この妊娠は継続できないかも知れません」と言われ泣きながら家に帰って、すぐにそれを報告したら
「人間いつかは死ぬんやし気を落とすな」
妊娠を喜んでないのは知ってたけど流石にびっくりして言葉を失った。
なんとしても諦めたくないから毎日の通院治療、極度の貧血もあって毎日病院にたどり着くまでギリギリの状態で、増血剤やら点滴やら打って帰宅。
そんな毎日が3週間ほど、その甲斐あって数値も良くなり病院の先生に「母子手帳もらいに行っていいですよ」って言われた時も号泣した。
3人目にして初めて妊娠って命懸けなんやって思った。
3人目を無事出産して、絶対に3人は産みたいと思ってた夢が叶った。
子育てって最高に幸せで我が子って本当に可愛くて、何人でも産みたいけど
ひとまず夢は叶ったからか、離婚を考え始めてた。

離婚計画が実行になった瞬間

離婚を考えていても子育ての幸せは変わらない。
日常生活はとても穏やかで単身赴任してた時は最高で、戻ってきても普通にできた。
脳内は離婚を考えてるけど、脳内以外は結構いい奥さんをしていたのでね。
最後の出産から2年が過ぎたある日、なんの理由も言わずに生活費を3分の1しか渡して来なかった夫。
それに対して何も言わずに毎日晩御飯に美味しいお好み焼きを作った私。
3日くらい経って「なんで毎日お好み焼きなん?」って聞いてきた。
「え?めっちゃ美味しいやん?あかん?」と笑顔で答える。
「別にいいけどなんでなん」
「毎日お好み焼きならあの生活費でもやっていけると思って」
私はずっと笑顔で答えてたけど、だんだん苛立ってきたのか
「別に後で渡そうと思ってたわ!!」と怒鳴られすごい勢いで家を出られました。
お好み焼きを片付けて、今まで考えてきた計画がスタートした。
翌日いつの間にか帰ってきてテーブルに残りの生活費を置いて出勤したらしい形跡があった。
私はその日に家庭裁判所に離婚調停の申立てに行った。
全然狙ったわけじゃないのにその期日を決定する通知が来たのは夫の誕生日だった。
いや、ホンマに狙ってないからこれは。
最悪な誕生日にしてそこは悪かったなと今でも思ってる。
でも今思えば結果的に離婚して今があるんやし、むしろ良かったかも知れないと思えなくもないよね。
この後は結構大惨事だったのでまた別の記事にしよう

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