自分を根底から否定するような感覚から抜け出すということ
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こんにちは。本多理恵です。
わたしは、自分のコンプレックスを克服したくて必死に身につけようとしてきた感性・美意識を活かして、日常をエレガントに楽しむ方法をお伝えしたり、女性本来の輝きを引き出していくお仕事に携わらせていただいております。
先日、お客さまより、このようなメッセージをいただきました。
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理恵さん
先日はセッション、ありがとうございました。
セッションでもお話ししましたが、なんとなくセールスの感覚がつかめたような気がします。
これもコーチングを通して「ゴール設定の大切さ」を学んでいたからできたことだと思ってます。
今までの私に足りなかったことが、やっとわかりました。
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メッセージありがとうございます^^
何事もそうですが、習うことと、できることって違ったりしますね。
学んだことは、実践してみて、メッセージにもありましたように「感覚としてつかむ」ことができるようになったりします。
わたしも、結構、大切なことを「わかったつもり」になっていることも多くって(笑)
「いやいやいや、もっと素直に取り組もうよ!」と自分に言ったりしています。
「できない」「わかっていない」ことを認めながら、それでも、「わかろうとする姿勢」「やってみようとする姿勢」が大切なのかもしれません。
わたし自身もっと実践し、もっと感覚をつかんで、みなさんにできる限りわかりやすくお伝えできるよう努めていきたいなと、最近、改めて感じているところです。
では、きょうのテーマについて、お話ししていきますね。
「自分を根底から否定するような感覚から抜け出すということ」
以前のブログで、少しお話しさせていただきました、あのテレビドラマ『やまとなでしこ』とわたし自身の経験についてのお話しです。
わたしの両親ですね、実は、周囲からの猛反対を押し切って結婚したようなんですね。
母は、地元では、ある程度財産があるといわれてきた家。(といっても田舎の感覚ですが。)そして、教育熱心。
(残念ながら、母は、幼少期に実母の闘病や亡くす経験をしているため、勉強があまりできない環境だったようです。)
父は、兄弟がたくさん。幼少期から金銭的な苦労をしてきた家。
そのような家に育った二人の結婚。
「大丈夫、(母の名前)ちゃんは、結婚して、3日で帰ってくるから。」
結婚したものの、母の叔父に、こういわれるくらい、地元では有名な恋愛ドラマを繰り広げていたようなんですね。
そのような結婚生活の中で、わたしが誕生し、わたしは、母方の初孫のような手厚い庇護のもと育ちました。(これまでもお話ししてきましたが、だからといって愛情に満たされていたのではありません・・・。)
そして、だんだんと大きくなるにつれて、両親の育った環境の差というものが、わたしに影響を及ぼすようになっていきます。
勉強で、わからないことがあったとき、父に聞いても、答えてもらえない。
将来のことを相談したいけど、相談できない。
勉強すればするほどに、父との差を感じるようになっていって。
大好きだった父に、頼りなさを感じるようになっていったんですね。
そして、わたしが高校入学後に、耳にした話。
わたしは、進学校に進んだのですが、その話を間接的に耳にした地元の方が、このようにおっしゃったそうなんです。
「本多さん?いやいやいや、あの家系に、○○高校に行くような子はいないよ。」
「あっ、でも(母の実家の姓)さんのところと結婚した人がいるって聞いたから、もしかしたら、そこの娘さんだったらありえるかもしれない。」
高校生だった当時のわたしは、この話を聞いたとき「ふ~ん」としか思っていませんでした。「まぁ、そういわれても仕方がないのかな。」みたいな感じだったんです。
そして、その後も、このような言葉を耳にする機会が増えていきます。
母方の叔父に「理恵ちゃんはさぁ、結婚するときに、旦那さんになる人をお父さんに会わせたら恥ずかしいんじゃない?」と言われたり。
地元の方に「お父さんに似なくて、本当に良かったねぇ。」と言われたり。
ときには、「本多さん姉妹知ってるでしょ?あれが親よ。」と父に対して話している声が、聞こえてくることもありました。
だんだんとわたしは、「父といることは恥ずかしい。」「父のことがばれたら、わたしは結婚できないのかもしれない。」と感じるようになっていったんです。
そして、自分の育ち・家系がばれないよう・・・、自分自身の教養を高めていった気がしています。
そんな中、テレビドラマ『やまとなでしこ』で見たあるシーン。
主人公、桜子さんは、田舎の漁師さんの家に育ち、幼少期、すごく貧しい生活を送っていたんですね。
その生活から抜け出したくてCAさんになり、できる限り「お金持ちの人」と結婚しようとします。
そして見つけた、婚約者さんは、とても裕福なご家庭。
桜子さんたちの婚約が決まり、両家の顔合わせの際、桜子さんはお父さんにこうお願いします。
「いい?父ちゃんは、外国船の船長ってことにしてあるから。それで、話を合わせてね。」
そして、お父さんに、船長さんらしいお洋服を用意し、こう話させます。
「わたしは、外国船の船長をしています。ですので、次いつお会いできるかわかりません。長い旅に出ますので。」
無事、高級ホテルでの顔合わせが終わった後、お父さんが田舎へ向かうバスに乗ろうとしたとき・・・、桜子さんが発した言葉。
「父ちゃん、ごめん!」
「いいんだよ、桜子。」
わたしは、当時、このシーンを見ながら涙を流していました。
今思うと、桜子さんのとった行動に、自分と共通するなにかを感じたからなのではないかと思います。
このドラマの桜子さんとは、なにか重なるものを感じていたんですね。
一生懸命勉強してCAになったこと。(わたしはCAではありませんでしたが、勉強したという部分が似ています。)
教養を身につけたり、ファッションなど「見た目」にこだわっていたこと。
わたしも、そのように生きてきたから、今、その過程で培った感性をお伝えしたいと感じているのだなと感じています。
父とのことと、わたしが、身につけてきた特性。
やっと、わたしの中で、それがつながりました。
だから、わたしが今からさせていただくお仕事をやる意味があるんですね。
以前のわたしは、父と似ていないといわれることを表面上は喜び、「良かった。」と感じていました。
ときには、母に「なんでお父さんと結婚したの?」と言ったこともあります。
そのときにはまったく気づいていなかったのですが、実は、そう思いながらも、わたしは、すごく傷ついてきたんです。
ずっと、わたしの半分を否定して生きていたから。
地元の方からの言葉は、わたしを褒めていらっしゃるのですが、わたしを傷つけていたんですね。
「あ~、だからわたしは、あんなに自分に自信がなかったのか・・・。」
今なら、わかります。
すごく深い部分での自己否定。苦しかったです。
あのドラマから随分経っていますが、今のわたしは、おそらく、桜子さんのようなことはしないなと思います。
今はですね、父の愛というものがわかって、わたし自身、父のことが大好きだということを、自分でしっかり自覚できているから。
わたしの父は、迎賓館・有名ホテルの絨毯を手がける、日本でも有数の職人さんでもあります。
自分にできることを精一杯して、わたし達姉妹に金銭的な苦労をさせないよう、がんばって仕事をしてくれました。
子どものころは、そんな父が自慢だったのに。
いつの間にか、父を「恥ずかしい」と思うようになっていったんですね。
「絨毯の上で死にたい。」
というくらい好きな仕事に取り組む姿を見せてくれていた父。
学問的なことは全くですが、職人さんらしい頑固さと仕事に対する誇り。
わたしも、これからそういう仕事がしていけたらいいな、と感じています。
今では、そんな父が、わたしの自慢です^^
このような経緯で身につけてきた、わたしの感性。
これから、誇りをもってその道へと進んでいきたいと感じています。
(って、こんな涙ながらに文章書いたのはじめてです(笑))
ありがとうございました^^
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