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これも「差別」に当たるのだろうか?
今回は、「差別」について。まずは、こちらの動画を見ていただきたい。
この動画でも語っているように、私たちはよく「差別や偏見はいけない」と、この2つの言葉を並列して語るので、「差別」と「偏見」が同義だと思い込んでいる節がある。しかし、この2つは本来異なる意味を言葉だし、しっかりと分けて考える必要があると思っている。
「偏見」とは、文字通り「偏った見方」。つまり、特定のカテゴリーに属する人々に対して、たとえば「ドイツ人って、こういう人たちだよね」「女性ってこういうところがあるよね」「障害者ってこうだよね」などと、ステレオタイプで見てしまうことだ。
一方、「差別」とは、そうした偏見に基づいて、正当な理由なく、特定の人々を低く扱うこと。たとえば、「女性には選挙権を与えない」「黒人はこの地区に住んではいけない」といった措置はあきらかな差別と言える(そして残念ながら、そうしたことが正当化されていた時代があったことも忘れてはならない)。
私としては、もちろん差別も偏見もなくしていきたいと思っている。しかし、現実的には偏見をなくすことは非常に難しいと思っている。もちろん、偏見をなくす努力を重ねていくことは大切だし、教育によって可能なこともあるかもしれない。しかし、こと相手が大人となると、それは相手の心の中のことであり、そこに踏み込んで変化を与えていくことにどこまで正当性があるのか不安が残る。
一方、と言うよりも、だからこそ、差別は絶対になくしていかなければならないと思っている。目の前にいる相手に対して、どのようなイメージを抱こうが、どのような考えを持とうが、それを表に出すこと、ましてやコミュニティや社会から排除するような場面があっては、絶対にならないと思っている。
と、ここまでは、以前から私の発信をフォローしてくださっている方にとっては“耳タコ”なメッセージとなるはずだ。しかし、つい数日前に読み終わった本の内容に、ある問いを突きつけられてしまった。はたして、この場合も「差別」と言えるのだろうか。みなさんと一緒に考えていきたいと思う。
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「乙武洋匡の七転び八起き」
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