ひろゆき氏の「座り込み」イジリから考えること。
どうも、毎日が「座り込み」の乙武です。
また、ひろゆきさんが話題を振りまいています。
「新基地断念まで座り込み抗議 不屈3011日」と書かれた看板の横で満面の笑みを浮かべ、ピースサイン。これが瞬く間に拡散され、この記事を書いている10/7時点で28万近くの「いいね」がついています。
右派は「いいぞ、もっとやれ」的な調子で囃し立て、左派は顔を真っ赤にして「冷笑主義もほどほどにしろ」と怒っています。こうした“分断の日常”にうんざりしている人も多くいると思いますが、「乙武さんもこの件に関して何か言ってほしい」というリクエストが少なくないので、少し思うところを書いてみようかと思います。
まずは、やっぱりひろゆきさん、すげえなと。ここ数日、ネット上は「辺野古」一色ですよ。まあ、“一色”は言い過ぎかもしれないけど、少なくとも、「辺野古」というワードがここまでネット上で話題になったことは、久しくなかったのではないかと思います。
本来なら、ひろゆきさんにカンカンに怒っている左派の方々こそ、多くの国民が「辺野古」に視線を注ぎ、「辺野古」を話題にしているこうした状況をつくり出したかったのではないでしょうか。もちろん、それは彼らが望んでいた形ではなかったかもしれません。実際、スポットライトが当たっているのは「辺野古の是非」というよりも、「ひろゆき氏の行動の是非」となってしまっている現状があります。でも、国民の視線を無理やり辺野古に向けることは難しくても、こうして向けられた視線を軌道修正することのほうが、まだ容易いのではないでしょうか。
そして、ひろゆきさん自身はそこまで考えて、あえてこうした騒ぎを起こしている可能性はないのかな、とさえ勘繰ってしまいます。さすがに、それは考えすぎかな。
さて、先にも書きましたが、左派の人々は、ひろゆき氏の行動を批判するに際して、「敬意が感じられない」という言葉をよく用いています。ここに、私はいささか疑問を感じています。沖縄在住ではない私たちが基地反対派の抗議活動をしている方々に抱くべき感情は「敬意」なのでしょうか。むしろ私は、
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