「折り鶴論争」、私はこう思う。
数日前から、「折り鶴論争」が勃発している。発端となったのは、朝日新聞のこの記事だ。
記事によると、埼玉県にある障害者就労移行支援施設の利用者40名が、ウクライナの人口約4200万人にちなみ、4200羽の鶴を折ったのだという。
そこに、この人が噛みついた。
相手が欲していないものを送りつけるのは自己満足にすぎないという痛烈な指摘である。さらに、このツイートにメンタリストDaiGoさんが過激な言葉で賛意を示した。
朝日新聞の記事では、東京都内のウクライナ大使館に届ける予定だと書かれており、ウクライナ現地に送るわけではないものの、それでもDaiGoさんは「ウクライナの人々に寄り添いたい」との気持ちから折り鶴を折り続けた人々を、「狂気」「愚者」とかなり強い語調で糾弾した。
ただ、こうしたDaiGoさんの発言に拒否反応を示す人も少なくなく、たとえばタレントの井上咲楽さんは出演した番組で、「狂気って言い方はどうなのかなって思う。私たちができることとか何かにやってあげたいっていう気持ちなので、送った人がそれ聞いたら悲しむだろうなと思っちゃいます」と発言している。
こうしてにわかに巻き起こった「折り鶴論争」だが、私自身はその様子をネット上で眺めながら、「この問題は、たった一本の補助線さえ引いてしまえば、議論さえ成立しないはずなのにな」などと考えている。
そのシンプルな補助線とは——。
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