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511日間の石積み

「限界は自分が決める」
若い頃に教わり、(苦しい時に)自分によく言い聞かせている言葉だ。
私はこの言葉を、他人から「もう限界だよ」と言われるまでは本当の限界ではない、というふうに解釈している。

この“戒め”を地で行く企画が、私が編集を担当し、8月6日に刊行した北野唯我さん(著)、百田ちなこさん(漫画)の書籍「これからの生き方。」だった。


1日目▶︎▶︎▶︎出会い

2019年の3月。東京で行われたセミナーに北野唯我さんが登壇した。セミナー内容に感動した私は不躾にも企画の話を持ちかけた。

その頃の北野さんは『天才を殺す凡人』が出たあとで、デビュー作の『転職の思考法』に続いて大ヒット街道まっしぐらの人だった。
「出版の話はすでにたくさん頂いていますので可能性は低いと思います」
ひどく正直に本音を言いつつも、その翌週に北野さんは会ってくれた。

9日目▶︎▶︎▶︎ダメだしと面接

そして、打ち合わせの日。
「僕が大森さんとこの企画をやる意味がわかりません」
当初提案した“無難”で“ありきたりな”企画は、様々な出版社から来たであろう企画書と比較され、あっさりと否定された。

しかしながら、その時、北野さんは自らのこれからの構想についてかなり明確に、明快に話をしてくれた。

・絵本的なことをやりたい、それは漫画でもいいかもしれない。
・現代版の「13歳のハローワーク」的な仕事図鑑を作るのは面白いと思っている。
・自分が死んでも概念として残り続けるものを作り続ける。
・人生100年時代が叫ばれるが、どんな働き方、生き方になるのかを思い描きづらい人が多い。 等々

それ以外は、もはや「面接」だった――。

・これまでどんな本を手掛けてきたのか?
・自分ではどんなジャンルが得意だと思っているのか?
・手掛けた本で面白いと思った企画は? 等々

正直に答えたつもりだが、どこまで伝わったのかはわからない。
しかしながら、徐々に北野さんの真意がわかってきた。それはこんな言葉に表れている。

「僕はその出版社、その編集者だからできることをしたいんです」

長く編集者をしているが、そんなことを言われたのは初めてだった。

そして、こう続けた。
「そうしないと“魂を乗せられるもの”は作れないと思うんです」
そう、試されていたのは「本気」だったのだ。

「編集者もそうかもしれませんが、自分もプロデューサー気質なので、大森さんの良さを活かす企画を考えちゃうんですよ」北野さんはそう言って笑った。
おかしな感覚だが、その時、私は自分で自分のスイッチが入ったのがハッキリとわかった。もう1度チャンスをくださいとお願いし、その日は別れた。

その後、すぐに会社には戻らず、そのまま渋谷・道玄坂にあった北野さんのオフィスの近くにあるサンマルク・カフェに駆け込み、頭に浮かんだアイデアや考え・思いを一気に書き出した。気がつくと2時間近く経っていた。注文したコーヒーは半分も減っていないまま冷めていた。

北野さんが私の経歴で面白がっていたのは「サロン・デュ・ショコラ」というチョコレートのイベントのオフィシャルムックの仕事だった。

フランス、ベルギー、スイス、イタリア、スペイン、そして日本などのショコラティエ、パティシエが一堂に会すこのイベントは25年以上前からパリで行われ、日本では三越伊勢丹グループが毎年1月から2月にかけて全国6カ所で行うチョコレートの一大イベントだ。

私は10年以上この催事にかかわり、延べで350人以上のショコラティエに現地で取材し続けていた。

北野さんは1粒のショコラができるまでの工程や、ショコラティエがなぜその仕事を選んだのかを、私がヨーロッパ中のシェフに聞いて回った話などを面白そうに聞いていた。

「北野さん+チョコレート+絵本or漫画」
三題噺のようなテーマを元によどみなくアイデアが出てきた。
そしてアイデアを企画に落とし込んでいく作業をしていく。これまでの自分の軌跡がベースなので、リアルな(=嘘のない)構成になっていった。

ただ、その時は絵本や漫画という言葉に囚われ、子供が「働くということ」を学ぶ内容だった。(しかし、後日少しずつ変化していき、“働く意味”や“働き方”を考えるものに内容はシフトした)

自分でも驚いたのは「仕事」をテーマにすると、これまで出会った様々な人たちが語った言葉や行動がフラッシュバックしたことだった。

「会社と結婚するな」(某大手芸能事務所の元役員)
「完璧な仕事などないから、人は完璧を目指すのだ」(故ジョエル・ロブション)

これまでのキャリアの卸し的な感覚もあった気がする。
それから、これは北野さんに提出した企画書には書いていないので北野さんは知らないと思うが「君は君のする仕事で誰かを幸せにできるか?」というロブションの話も思い出し、自分のアイデアノートに書き出していた。

この“問い”は今回の本の中でも重要な位置づけで登場する。(もちろん書いたのは北野さんだ。実は今回の本にはこうした“恐ろしい一致”がたくさんある。)

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17日目▶︎▶︎▶︎敗者復活戦と、出会えなかった百田さん

1週間後くらいには北野さんに企画書を送り、返事を待つ。
メールの履歴を改めて見返してみると、翌日の夕方には返信をくれていたのだが、本当に長く感じたのをよく覚えている。しかしながら、出し切った感のある企画書だったので、ダメなら諦めもつく、とも考えていた。

返信は「いま他の本を執筆中なので、すぐにやると確約はできないけど、話は面白い」というもので、首の皮一枚繋がり(笑)、第2ラウンドに進むことになった。

次回のアポの前に「クリエーターズExpo」という、毎年東京ビックサイトで開催されるイベントがあった。企業だけでなく、画家、イラストレーター、漫画家、デザイナー等々、クリエーションに関わる業種のあらゆる人がそこに集結し、各々が作品を発表(展示)していて、いわば編集者やプロデューサー、メーカーたちとの出会いの場になっているイベントだ。

私は原作を元に漫画化してくれる漫画家(何とややこしい表現)を探すためにビックサイトを訪れた。連載を持つような漫画家さんは出版社が拘束しているケースが多く、そうした縛りのない漫画家さんを探す必要があった。

そして、そこで面白そうな人には片っ端から声をかけた。ただ一人、PR用のパンフレットだけが置かれていて、本人がいないブース(クリエーターたちは幅1メートルほどの狭いブースに座って作品を展示している)があった。時間を変え3度顔を出したが結局会えず、その日は置かれていたパンフレットだけ持ち帰った。

それが今回の漫画を描くことになる百田(ももた)ちなこさんだった。


27日目▶︎▶︎▶︎北野さんと百田さんの赤い糸

2回目の北野さんとの打ち合わせはイメージのすり合わせになった。
「メールを返信した時は企画書をよく読んでいない状態だったが、じっくり読むと面白かった」、と嬉しい言葉をもらった。

そこで私はビックサイトで話をした漫画家のパンフレット何人か分を北野さんに見せた。
ここで北野さんの漫画のイメージがかなり理解できた。
「この人の漫画がどうしても気になる」
北野さんがそう言ったのは百田さんの絵だった。

絵のタッチはイメージとは違うけど、ポテンシャルを感じる、主人公は女性にしたいので女性の心を動かせる人(絵)でないと、というのが主な理由だったと思う。他の方々はビジネス書でいわゆるコミカライズの仕事をされている漫画家さんで、絵は上手いけど、逆にまとまりすぎていたのかもしれない。

一度も会ったことのない漫画家さんを北野さんが選んだことで、話は急転直下、百田さんが引き受けてくれるかどうか、がポイントになってきた。

漫画で表現するということは、これまでの北野さんの作品と異なり、本の第一印象において、きわめて重要な役割を漫画が担うからだ。しかし百田さんはすでに二冊の本を出しており、ウェブの連載も持っていた。メールで挨拶をし、すぐにアポイントを取り、私の会社で会うことになった。


34日目▶︎▶︎▶︎百田さんの第一印象

第一印象の百田さんは華奢で色白で、さくらももこ的雰囲気があり、私がイメージする漫画家さんっぽい人、だった。「ふんわりした」という表現が似合う感じの百田さんは、具体的な仕事の話になると、実に的確だった。

・原作モノはセリフが指定されていないことが多い
・どこまで自分の創作ができるか
・今までメインで描いてきた絵のタッチとは違うのでどうイメージをすり合わすか
・アドラーの本が出たあたりから、自己肯定感を強める系の漫画が増えた、等々

会議室のソファーに座りながら、「この人なら途中で仕事を投げ出さない」となぜか思ったのを覚えている。きっとそれは、これまでの編集者としての勘のようなものだ。


100日目▶︎▶︎▶︎最初で最後の三者面談

北野さんは本当に好奇心旺盛な人だ。
百田さんを交えての打ち合わせの際、北野さんは嬉しそうに今度は百田さんを「面接」した。
そして今回の企画の構想をよどみなく話した。人によって伝え方を変えるのが本当に上手い人だと感じたのもこの時が最初だったように思う。

たとえば、「ビジネス書なら言葉で“ステークホルダー”と書くところを、そう言わずに、絵でその存在をわかりやすく伝える、漫画はテレビ番組での池上彰さんのような位置づけです」と言ってみたり、「登場するキャラクターが魅力的なことが重要」とか、「池井戸潤さんの物語がうけるのはキャラがみんな魅力的だから」等々、決してストーリー重視ではないことも伝えられた。

今までの北野さんの企画ではできなかったことを今回は目指しているのがヒシヒシと伝わってきた。

この時の北野さんの話で印象深かったのは、”ベストセラーとして読み継がれる本には「時代性」と「普遍性」の両方がないとダメ”というものだった。
それから「働く人への応援ソング」を作ると思ってほしい、スポーツ選手にとってのゆずの「栄光の架橋」のような存在にしたい、と。

このことは本が校了(編集作業が終了)するまでの間、ずっと胸に留めておくことにした。

そして驚いたことに、この時すでに主人公の名前を希(のぞみ)と決めていた。それ以外の人物設定はすべて変わっているがコンセプトが変わったことはない。

しかも、冒頭のシーンのプロットはこの時点でできていた。
北野さんが多忙を理由に百田さんとの打ち合わせ日時を遅めにしたのは、本当はこのためだったのかと初めて気づく。

この日、構想を聞いた百田さんが
「自分がイメージする希たちを描いてみる」
と、数日後に登場人物のキャラクターシートのようなものを描いてくれた。

希 愛キャラ表最新


120日目▶︎▶︎▶︎テオブロマ取材

ショコラ専門店が舞台の1つなると決まったことで、実際にショコラティエやパティシエがどんな作業、仕事をしているのか取材することになり、北野さんと百田さんを、渋谷・富ヶ谷にある老舗「ミュゼ・デュ・ショコラ テオブロマ」に連れて行った。

シェフの土屋公二さんは2004年に彼の初のレシピ本を担当したことがご縁で、その後のサロン・デュ・ショコラのムックなどもご一緒する長い付き合いのシェフだ。

土屋シェフは20歳そこそこで単身でフランスに渡り、6年間パリのアパルトメントの安い屋根裏部屋を借りて、名門ショコラトリーで修業した日本ショコラ界の第一人者。お店を多数展開していて、話を訊いたり、現場を取材するならここしかないと思った。

マカロンやチョコレートを作る工程などを簡単に見せていただき、土屋シェフや各部署(厨房だけでなく、接客部門など)の人にもインタビューさせていただき、相当な長時間お話を聞けた。「おわりに」でも書かれているが、二人の著者にとって、物語の“現場のイメージ”はかなりハッキリした

詳しくは書かないが、シェフと従業員の関係性に関するくだりは、かなりこのテオブロマの影響もある(と、私は思う。だが、あえてこう書かせていただく。※この物語はフィクションであり、実在の人物や団体などとは関係ありません。)

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132日目▶︎▶︎▶︎北野さんの「思考のプロセス」

7月下旬になり、プロット案が随時送られてくるようになった。
北野さんの原稿の特徴は、迷った素材(エピソード)やアイデアが、原稿の最後に残っていて、思考のプロセスが少しわかることだ。こんな話も考えていたのか、とこちらもわかる良さがある(そういう意図で残しているわけではなさそうだが・・・)。私は採用されなかったエピソードも目を通すようにした。北野さんの「思考のプロセス」を理解するために。

最終的には西村誠というキャラになる子供は、当初は主人公・小林希のミニ版というべき女の子だった。北野さんは百田さんが描いたキャラの絵を切り貼りして“人物相関図”にし、それをプロットの冒頭に入れて送ってくる。
石段を1段ずつ昇るような作業だが、この段階が長い目で見ると極めて重要だったと思っている。

北野さんは書くたびにエピソードをいじる。
「おっ、いいじゃん」と私が思っていても、次のプロットでは差し代わっていたりする。
何度も何度も補助線を描くことで大事な線が出来る、一枚の大きな絵を描くような作業だ。

この時期が著者にとって楽しいのか苦しいのか・・・私には聞く勇気がなかった。
(本書149ページに、その頃の北野さんの心理状態を表しているであろうセリフが登場するので、是非お読みいただきたい)

登場人物も変更になるので、その都度百田さんがキャラクターシートを更新する。そしてその絵を見ながらイメージを固め合う。まさに「固め合う」という表現がぴったりだと思った。


198日目▶︎▶︎▶︎休日は何をしてるの?

あるとき、北野さんから「各キャラたちは休日に何をしているのか」を話し合いたいと言い出した。休日の過ごし方だけなく、服の好み、趣味、好きな食べ物など、ざっくばらんに百田さんと三人で話し合った。

意外にも三人のイメージが共通しているポイントとバラバラなポイントがハッキリしていて、この段階で話し合ってよかったと感じた。イメージがずれたまま進むと取り返しのつかない事態になったかもしれない。

こうした「登場人物に命を与える作業」は登場人物たちに思い入れが出始めたこの頃にやるのがベストだったかもしれない。まだセリフもないタイミングでやっても盛り上がらなかった可能性がある。そ

れにしても、この時の百田さんの姉妹の関係性に対する考察は鋭くて恐れ入った。絶対に男だけではそこまで設定を追い込めないと思った。

驚かれるかもしれないが、3人で会ったのは最初(4月)の1回だけで、その後は全てオンラインミーティングだった。当初はまごつくことも多かったが(iPhoneでアクセスしていたら電源が切れる等々、不慣れな失敗も多々犯したが)、次第に慣れてきた。

皮肉にも結果的にこれが“コロナ禍”での進行に有効になった。

人々がリモートワークを本格的に導入する頃には、もうすっかりオンラインでのコミュニケーションに慣れていた。

これは笑い話だが、ある時、「これから会議室で著者と打ち合わせします」と編集部のメンバーに言って会議室でオンラインミーティングしていると、部屋までお茶を持ってこられたりもした。
(その頃は会議室で著者と打ち合わせと言えば、著者が来ていると思われていたためだ)
会議室で私が独りでスマホに向かって話しているのをお茶を持ってきた人に見られ、ギョッされたこと(顔)は忘れられない。今は日本のあちこちで行われ、日常になっている。


233日目▶︎▶︎▶︎幻になった第2章

その後、10月末には私が別件の取材(先のサロン・デュ・ショコラの取材)でフランスにいる間にも、このリモートミーティングは行われた。時差の関係で私は早朝のミーティングだったが、朝冷えのするパリで百田さんの描くネーム(プロットをコマ割りしたもの)の1コマ1コマを議論したのはいい思い出になった。

その時間だけは国も場所もなく、“いつもの3人”がモニター越しに熱く議論を交わした。コロナ禍で、リモートのミーティングだと身が入らないという話を聞くが、それは手段の話ではなく、意見をぶつけ合うだけのテーマや思い入れがないからかもしれない。(メールなどでの報告書で済む話をわざわざオンラインでやっているというか……)

プロットの書き直しと、ネームの執筆が同時進行で行われつつ、第2章(結果的に巻末付録になる章)の執筆が始まる。

元々は「幸せの仕事図鑑」という、面白い仕事をしている方々に北野さんがインタビューし、それを職業図鑑風にイラスト付きでまとめる案だった。諸般の事情でそれが難しくなり、煮詰まっていたところに、北野さんから飛び出したアイデアが「漫画の登場人物たちに自分がインタビューする」というものだった。

聞いた当初はさすがに面食らった。そんな本は見たことがないし、そんなわけでこれまで自分もやったことがない。しかも北野さんが送ってきたサンプルの原稿を読んでまた驚いた。

著者の”キャリア論に対する考察”が質問の中に織り込まれていて、既に漫画で読んだ登場人物たちがそれに応えている。すでに彼らの物語を読んでいるから、彼らの人格は読者も共有している。

物語上での行動や発言の真意、考えの元となる仕事への価値観がインタビューには表れていて、それによって漫画も重層的になっていき、また読み返したくなる。本当に新鮮な感覚だった。「これはいける」そう思って北野さんに「これでいきましょう」と返信をした。

(きっと北野さんは「してやったり」とほくそ笑んでいたに違いない)

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293日目▶︎▶︎▶︎大晦日に原稿を送ってきた初めての著者

この企画での初経験はそれだけではない。
12月30日になってプロットの修正版、それも大幅な修正が入ったものが送られてきたのだ。「令和最初の年」が終わるのを目前とした日に宿題が送られてきた感じだ。
大晦日はその原稿をチェックし、気になる点を洗い出し、コメントを加えて返送した。

皮肉にも私の指摘により、冒頭のシーンで「編集長にしてくれ」とお願いする希に対する編集長・横田のセリフを、(それまでは「婚約者に何か言われるぞ」だった)「働きすぎは会社からフラグが立つぞ」というセリフに変えることになる。フラグは私たち三人に立っていた。

とにかく大晦日に著者と原稿をやりとりするのは初めての経験だった。

年が明けて1月2日には、それを受けての大修正版が送られてくる。
北野さんのメールには「僕にとってお正月は本業がないボーナスタイムみたいな感じで、ずっと書き続けてました」とある。年末年始に仕事をすることをボーナスと呼ぶとは……完敗です。

北野さんはツイッターでよく「今日も今日とて1つずつ石を積む」と地道な作業を表現しているが、まさか年末年始も積み続けているとは(しかも石はかなり重い)。これからあとどれくらい石を積むのか…考えると目眩がしそうだった。

この頃の北野さんの発言で忘れられないものがもう1つ。
「自分の中の100%を出した、というところからどれだけ上積みできるかが勝負」
というもの。これはとっさにメモをした(笑)
よくアスリートが「100%出し切ったから悔いはありません」というコメントを出すが、北野さんはそこがスタートだと。あぁ、この言葉を昨年の3月に聞いていたら、それでも執筆をお願いしただろうか……。

とにかくそんなことを思う暇もなく、その後も原稿だけでなく、タイトルや帯のイメージの話し合いが続く。

この頃北野さんがよく言っていたのは「このままじゃ売れない」だ。
この言葉はある意味「リセットボタン」のようなもので、この台詞や文字が出たら、立ち止まってゼロから見直しをする合図になった。

書名の話は長くなるので割愛するが、当初企画書を書いた時点では『自分に言い訳をしない人生を歩むために』だった。もちろん北野さんから出た言葉ではないが、後悔しない働き方を選ぼうという意味合いを込めていた。

その後プロットも完成し、ネームも大詰めを迎える中、20数個のタイトル案とキャッチコピー案をベースに、簡単なデザインラフを作って三人で話し合った。

一番沈黙が多いオンラインミーティングだったのもこの時だったかもしれない。3人とも「うーん」と言ったまま考え込んだり、ぶつぶつ言ったり……。

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298日目▶︎▶︎▶︎“期待値を、超えろ”

フランスにいる時、北野さんから是非とも読んでほしいと言って紹介された本がある。
『ピクサー流 創造するちから』という本で、ピクサーの社長だった著者が前人未到のCGアニメの世界をどう確立させていったのか、数々の失敗談(成功談ではなく)を交えて紹介しているもので、無から有を生み出す人は必須の内容だ。すぐさまAmazonで電子版を購入した。ここでも場所を感じさせない時代になったと感じた。早速、取材でTGVなどを使う長期移動の車内で読み始めた。

内容的には、気の遠くなるような“正解に近づく努力”の積み重ねの結果にしか、あのような名作は生まれないのだと思い知らされる本だが、実際この頃、リアルにそう感じていた。

音楽でも映画でも本でも、形になったものでしか評価はされない。当たり前だ。しかし、コンテンツには必ずコンテキスト(文脈や背景)がある。
「大事なのは努力の量ではない、質なのだ」と、この頃考えていた気がする。

北野さんから「売れる本の条件は“期待値を超えるもの”」と何度か言われた(実際には言われたのは1度だけで、自分の頭の中でリフレインしていただけかもしれないが…笑)。

人は“払った金額や時間に見合ったものを満たすものを=期待通りのもの”、と考えるが、大事なのは、その期待値を超えることだと。

そこで人は初めてその作品を高く評価し、人にも勧めるようになる。
これは、先のピクサーの考え方と通底するものであり、モノづくりの本質、いや、仕事の本質なのかもしれない、と思った。

漫画部分が作業として百田さんの肩にかかってくる状況を横目に、第3章(結果的には2章になる)の原稿が進む。ここがこの本の主題になってくる。

ドナルド・E・スーパーの「14の労働価値」の採用は偶然だった。漫画に登場する主要な7人のキャラはどんな価値観をもって仕事をしているのかを、先の「休日の過ごし方」のような感覚で「14の労働価値」に当てはめて一覧表にしてみた。

それを北野さんに見せたところ(何か別の話をする際についでに送ったような気がする)、この分類を面白がってくれ、逆に著者として価値観の設定で違和感のある部分などをフィードバックしてきた。これが実際に本に掲載されている「キャラクター別 仕事の価値観」である。

漫画はいわゆる「群像劇」なので登場人物が多いため、仕事への価値観を基準にした“ビジネス書的なフィルター”をかけることで、物語をより俯瞰して見直すことができると考えた。
北野さんはそこに渋沢栄一の名著『論語と算盤』の素材を取り入れ、見事な自己分析の章に仕上げた。

この2つの古典的なキャリアデザインのための素材を使うことは「普遍性」を獲得することに大きく寄与したように思う。またまた北野さんのほくそ笑む顔が浮かぶ。

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383日目▶︎▶︎▶︎コロナと4章と鶴太郎さんの「寝観音」

1コマずつ表現の確認をするような漫画部分(第1章)のネームチェックも終わり、いよいよペン入れ(本番用の仕上げ)作業に入る頃、今年を象徴する出来事が起こった。

新型コロナウイルスの席巻である。

学校が閉鎖され、卒業式もなくなり、桜舞い散る入学式も行われないような“新しい日常”が否応なしに始まった。企業もリモートワークが始まり、「緊急事態宣言」という、ゴジラのようなSF映画でしか見ない非日常感溢れる宣言も発令された。
3人のオンライン・ミーティングもまずはその話題から始まるようになっていく。

そんな中、3月29日――日本の歴史的には志村けんが亡くなった日として記憶されるであろう日――に、北野さんから「最後に何の本なのかをよりハッキリさせるために4部構成にしたい」と突然メールが届く。最後にエッセイを入れたい、と。

一体どんな内容が来るのか全くイメージが湧かず、「著者としての見解が出るなら賛成します。1章から3章まで漫画を中心とした客観的視点で構成されているので」とだけ書いて返信をした。

結果的に、この4章(最終的には第3章)がこの本の性質を決定づけた気がしている。
ペン入れ作業追い込み中の百田さんからも

“まさに「そっと背中を押されている」感覚になりました。
現状に悩んでいる人、がんばりたいけどどうしたらいいかわからない人など
モヤモヤしている人の気持ちが励まされる、とても優しい文章だと思いました。“

と熱い感想。

私も長い長いこの本との格闘に、ようやくゴールが見えた気がした

片岡鶴太郎さんの作品に「寝観音」という浅間山を題材にした絵がある。
草津にある彼の美術館に行った際、何の説明も見ずに回っていると、この絵に目が止まり、しばらく動けなかった。どうしてなのかわからない。
しかし説明文を読んで理由が少し理解できた。(長い引用ご容赦ください)


 東京から美術館のある草津へ行く途中、浅間山が見えるんですが、これをいつか描いてみたいとずっと思っていました。
 この作品は草津の牧場で描いたものです。そこからは浅間山がよく見えて観音様が横に寝ているように見えます。地元の人たちは寝観音と呼んでいまして、この言葉にも触発されました。
 最初は色を沢山使って描いてみたんですが、これが納得できない。自分のイメージする寝観音じゃないんです。それで一生懸命描いた色を墨で塗りつぶしました。これはやるせない想いでした。一度描いた浅間山が消えていく、色が消えていく。
 「絶対甦らすから、この費やした時間を無駄にしないから」なんて言い聞かせながら、納得できないから、何度も何度も塗り直すんです。そのうち何度も何度も塗り直すんで絵の具が粉状になったところがあって、気になりそこをふき取ったんです。
 するとその下から前に塗った色がふっと現れてきたんですよ。
 震えましたね。
 今までやってきたことが無駄ではなかった。
 しかもそれが何とも言えぬ色合いで浮かび出てきたんです。
 その時に強く思いました。前にやったこと、つまり過去、現在の自分、そして未来、すべては一つにつながっていると。失敗は失敗ではないんです。絶対にあきらめてはいけない、失敗を成功につなげるために今がんばるということです。
 そんな宗教的なことをこの作品を描くことで感じました。
                  〈片岡鶴太郎氏の解説文より引用〉

そして、この時、私はこの「寝観音」のエピソードを思い出した。
苦しんだプロセスの先に、このエッセイが生まれたのだと、そう思えた。
(書いたのは北野さんだが……笑)
同時にそれは100%を超えた、と思えた瞬間でもあった。

しかし、それでは終わらなかった……。


419日目▶︎▶︎▶︎まさかの構成見直し

北野さんがどうしても第三者に読んでもらいたい、と言い出し、友人・知人にゲラを送って読んで頂いた。
すると出るわ出るわ、課題のオンパレード(笑)

第2章として入れていた「インタビュー編」は流れを悪くするという理由で「巻末付録扱いにして逆開き(後ろから始まる構成)に」。漫画もシーン0(漫画の導入部)はごっそりカット! 

それ以外にも大幅なリライトが発生。百田さんがヤサグレないか心配したが、黙々と修正&改善してくれた。いや、内心はヤサグレていたと思うが、ここでも私には聞く勇気がなかった……。(当時の彼女のインスタを参照)

その後も約二カ月にもわたって、TOYOTA式「カイゼン」のような作業は続き、のちに「チーム北野」「チームこれ生き」という、この本のサポーターのようなSNSグループのメンバーになる方々からもご意見をいただき、

・目次が変わる
・本文中の表組の見せ方が変わる
・小見出しの入れ方を変える 等々

校了間際まで100%+αの作業が続き、もはや修正・改善していないページはないのではないか、という「テセウスの船*」状態でなんとか校了した。(「チームこれ生き」の皆さま、本当にありがとうございます)

今回の本は「もう限界」と思う瞬間が何度もあったが、これまでと違うのは3人で作っていたことだ。誰かが躓けば誰かに迷惑がかかる、または誰かも頑張っているから自分も頑張る。そんな「ONE TEAM」(実はその頃フランスにいてほとんどラグビーのW杯は見ていないが…)な日々だからこそ、「自分の考える限界」以上にできたのだと思う。

気がつけば初めて北野さんに会って企画の話をしてから511日(17カ月)が過ぎ、交わしたメールは294通(これはまだ増える)。

正直に言って北野さんと百田さんという「2つの異才」に伴走するのがやっとだったが、
これまでの自分の経験をベースに、
これからの自分のベースができたような、
私自身、この本を地でいく成長ができた511日だった。


511日目▶︎▶︎▶︎1つ1つ積み上げて辿り着いた発売日

もしかすると刊行できないのかも…と思うことがなかったと言えば嘘になるが、1年以上にわたって話し合ってきた「誰に何を伝えるための本なのか」があったからこそ、
それを果たすまでは諦められないという思いを強く抱き続けられた。
だから今回の発売は格別に嬉しかった。(やっと届けられるという意味で)

北野さんは物語の持つ力を信じている。
それは私がここで書くより、本書を読んでいただければわかっていただけると思うし、そうなるようにこれまで格闘し続けたと思っている。

ただ、第3章で北野さんが書いているように、インターネットの時代になって、知識や情報が誰でも得られるようになったが、それが自分を決して特別な存在にはしない。
重要なのは何を洞察し、どんな違いを見出すか、その感性を磨くこと、磨き続けることだ。

インスタントな本を読んでわかった気になるのではなく、物事の「差分」に気づき、自らの価値観について自らが深く入り込んで考えること。この本はそのための教材だ。
そして真面目に日々の仕事に取り組みつつ、思い悩んでいる人の背中をそっと押すような、そんな本に仕上がった
(働く人にとっての「栄光の架橋」になれたかはわからないが)

それでも、いつかまた思い悩んだら、もう一度読み返して欲しい。別の状況で読むと、別の発見があるのも「物語の強み」であり、良さである。
だからこそ北野さんは物語に思いを託すのだ。
きっと読んだ人に何らかの気づきを与えてくれると、私も信じている。                                 <了>

*「テセウスの船」テセウスがアテネの若者と共に(クレタ島から)帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウスの時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである。全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものと言えるのか、というパラドックス。(Wikipedia等から引用・再構成)

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