私小説、のようなもの4 遅れてくるもの
時代錯誤も甚だしいが随分前にテレビか何かで、
街中で誰かと肩がぶつかった(ぶつけられた)ときにその場でカッとなるのが男性
あとから(例えば帰宅後など)で沸々とイライラするのが女性
というのを聞いたことがある。
やたらと型に分類したがる傾向は嫌いだが、これに則るのなら私は女性タイプだと思う。
遅れてくるのだ、感情が。
例えば、友人なんかと些細な諍いが起きたとき、その場は何となく飲まれてしまうのだが後になってーシャワーを浴びているときなどー「いや待てよ」となるだ。
「あのとき黙っていたがこう言い返せたんじゃないのか」
「そもそもあそこまで言われる謂れはあるのか」
などと、考えてしまいせっかくのバスタイムがリラックスできない、なんてことはよくある。
もちろん寝る前には徐々に静まり、起きたら完全に鎮静化するのだが、こればっかしは、その場で言い返しスッキリとさせたいな、と思う。
とはいえもともと頭の回転が早いほうなので仕方がないのだが…。
これは怒りだがあらゆる感情が遅れてくるケースが多い。
感動なんかもそうだ。
映画を見ていて、あまりピンとこなくても何となくツラツラとその映画について考えていると「いい映画だったな」などと遅れて胸に迫ってきたりするのだ。
笑いなどもそういうケースがあり、漫才などで見ていてたときはそこまで
ハマっていなくてもあとから「好きなのかも」と妙におかしく笑えてくるのだ。逆にリアルタイムでゲラゲラと笑っているときは、見終えるとなぜあんなにおかしかったのかわらかない、なんてこともままある。
だがこれはいい。怒りも感動も笑いも好きなだけ遅れてきてもらって構わない。
一番厄介なのは羞恥だ。顔から火が出るほどの恥ずかしい経験だ。
これはどうにも取り返せないし、尾を引く。
私なんかはたまにではあるが十年以上前の自分の行いを思い出し、一人悶えてしまうことがある。
最近では、ボウリングというのものに行く機会があった。
言うまでもなく場違いだ。恐ろしく間違っているし、不似合いだ。何せ私は恐ろしいほどの運動音痴なのだから…。
とはいえその場は楽しめた。みんな大人だ。誰が下手でもからかったり、笑ったり、吊し上げたりしない。当たり前のことだ。
スコアは案の定ボロボロだったが、練習すればうまくなれるかも! なんて思っている自分がいた。
しかし、それは来た。羞恥という恐ろしい魔物が。
きっかけは参加メンバーの一人が送ってくれた写真だった。
ゲームの様子を撮ったもので、ほとんどのメンバーがカメラに背を向けてスコアボードなどを見ている。
その中に私がいた。
妙にヒョロヒョロとした脚をクロスさせ、ボウルを投げたまさにその瞬間がおさめられている。
暑いのかいっちょ前に腕まくりをし、不格好な腕を露出している。情けない。
そもそもなんで脚をクロスしているのか。床につま先を立てている右足は妙に心もとなくプルプルと震えているようにも見える。
体中が熱くなった。
火が出るほどに。
そして―。写真を見ると驚いたことに誰も私の方を見ていない。無関心なのだ。
楽しんだなどと酷い思い上がりだ。何回投げてもうまくならない私に皆は早々に興味を無くしたのだ。無理もない。昔からずっとそうだったではないか。
何が楽しかった、だ。何がもっと投げれば上手くなる、だ。
羞恥が精神的な苦痛に変わり、私はほとんど絶望しながら床についた。
そして翌朝。目を開けると幾分昨夜のダメージからは回復したように思えた。
意を決して起き上がったとき、腕の筋肉にかすかな、いや確かな痛みを感じる。
私は忘れていた。
肉体的苦痛も遅れてくるのだと。
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