リエゾンを見て思う自分の目指す世界

『その凸凹に当てはまる生き方が必ずあるはずです!
痛みを抱えているからこそ人に寄り添えることだってあるはずだ!』

遅ればせながらTVerでリエゾンを見始めました。
さやま先生の言葉が脳内リピート。
響く。響く。。

twitterに下書きしていたのですが、久しぶりにnoteで残してみることにしました。


私は発達障害の二次的なもので発達トラウマが起こることがある、発達トラウマだけの場合は発達障害と見分けがつきにくいと学びました。

自分は発達トラウマ+どちらかというとADHD傾向だなって思ってます。


私が学生の頃は『ちょっと変わった子』という括りにされていた子達がいたなと思い返します。
私は当時から特性がある子達のことが気になっていました。
その子達に対する先生の扱いがひどくて先生を説教したこともありました。
(強すぎる正義感もどうかな…と振り返ってます)

今その当時の思いが再燃しているというか、発達分野や障害についてとてもアンテナが張っています。

『生きづらさを抱える』という意味では発達トラウマも発達障害もマイノリティーに属する人も身体的な特性を持つ人もみんな同じではないかと。

最近はHSPも発達障害の1つなんて言われ始めているので、
もはや全人類何かしら特性がある!もう人それぞれの個性でええやん!と思えてきます。

ただ、特に日本では凸凹を少なくして調和を重んじる社会がまだあって、生きづらさを抱えやすいですよね。
そして障害や病気が存在しているということは紛れもない事実です。

そこでわたし達にできるのはまず知ることではないでしょうか。
理解はできなくても知識があるのとないとでは全然違う。
最近の関わりから知ることの重要性をひしひしと感じています。

『どんな自分でもいい、どんなあなたでも大丈夫』
を前提にコミュニケーションが取れる世界になってほしいと願っています。
そしてそんな世界が作れるお手伝いがしたいです!

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