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アフリカの炒飯[2021/3/23]


・noteに日記を毎日更新するようになってちょうど1か月が経った。そのうち2日分は「つぶやき」機能を使ったけど、目標達成ということにしたい。今後は、まあ毎日更新に固執せずに、気が向いたときに書いていこうと思う。


・「自分のターン」が来るのが苦手だ。

・会話をしていて、「さあ、あなたが話す番ですよ」と手渡されると焦ってしまう。「オチ」を提供したいエンターテイナー気質はあるんだけれども、如何せんエンターテイナーとして四流、五流なので、自分の期待に自分で応えられない。会話の「責任」を持つ自信がない。「ボール」を持っているのが嫌で、ドリブルせずにすぐ他にパスしてしまう。

・極まれに、どうしても話したいエピソードがあると、自分の中で練りに練って「作品」として提供するから、手が震えてきてしまう。「この責任は俺がとるぞ」という気持ちに慣れていない。

・僕は、自分の頭の回転が速いと思ったことはたったの一度もなくて、むしろ会話に求められるスピードに自分の頭がついてこないことが多い。会話に求められるアドリブ性に対応できない。


・自分が勝手にエンタメを期待しているだけで、本当は「オチ」なんてそんなに必要なわけではない。むしろ、インタビュー調査も手法とする社会学者としては、語り手が「何なんですかね、この話」で終えるようなエピソードのほうに煌めきがあることを経験的によく知っている。


・数年前、知り合いの女性が、今の彼氏と別れて、新しく気になっている人と付き合い始めるべきか悩んでいるようだった。彼女は、新しい男性の良いところをいくつもいくつも挙げた後、

でも、今の彼は、こんなん売ってたよ、ってアフリカの炒飯みたいなのを買って帰ってきてくれるんです。

という発話で話を終えた。その場で聞いていたみんな、わかるなあ、と思っていたはずだ。どうやら、今もその彼との関係は続いているらしい。


・書き言葉は、基本的にターン制コミュニケーションではない。受け手との時間の同期性がないので、僕のスピードで考えることができる。そして、「オトす」ことにそれほど恐怖しなくていい。「何なんですかね」でも、まあいい。「日記」という言い訳があるので。

・「自分のターン」にこだわらなければ、自分にもずいぶん話したいことがあるもんだなと思った。大食い王決定戦に「普通の宮西」というフードファイターがいたこととか、いちじくジャムを買ってみたら甘さが遠くにいて美味しくなかったこととか。そういうどうでもいいことの捌け口として、公開の日記は意外と良い場所だった。


・TwitterとかInstagramに「お前の日常に興味ねえよ」なんてしょーーーもないことを言う人って最近見なくなったような気がするけど、「いや興味あるくない?」ってずっと思ってたな。知り合いが何食って何観て何を綺麗だと思ったのか、気にならないのかな。まあお前には興味ねえよってことか。僕は皆さんへのいつものお礼として、どうでもいい話を書いているような節がある。



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