わかった気になる「コミュニケーション」
2020年6月5日のツイートから
「家に黒猫がいるんです」と言うと、「そーなんだ」って答えてくれますが、うちに来たこともないし、うちの黒猫見たこともないのに、意味だけわかった気になるのがコミュニケーションの問題。実物を経験してないのにね。続きは授業で ^_^
友達との雑談は楽しい。よく笑うしテンポもいい。たわいもない話なのに飽きない。
「うちに黒猫がいて、家の2階のベランダから飛び降りて、クルマに着地するのよ」といった話。これくらいの内容だと、話を聞いている相手がうちに来たこともなく、うちのネコを見たことがなくてもまったく問題なく会話は進む。
なぜ実際の経験がなくても相手が「わかった」気になるのか。
それは、こちらから発する言葉に、相手自身の経験や知識を当てはめて理解しているから。「クロネコ」という語が聞こえたら、相手自身が知っている黒色やネコのイメージを適用する。「イエ」も「ベランダ」も「クルマ」も同じ要領で、聞こえてくる音声言語に、相手自身が有している知識や経験を適用して意味が発生し、理解した気持ちになっている。
だから、わかっているが、わかってない。厳密には、聞こえてくる言葉に合わせて「意味」を自分の中で創造しているだけであって、うちの黒猫や家やベランダや車の実物を認知、認識しているわけではない。
もうワンランク上げてこの論を進めると、少し抽象的な概念になっても同じようなことが起こる。「あの人は優しくて、気が利くのよ」といった会話でも、「やさしい」とか「きがきく」に、対話者それぞれが持っている定義を当てはめて理解される。話している方は具体的な言動に基づき「やさしい」とか「気が利く」と言うが、聞き手は「やさしい、気が利く」という言葉から、自分の定義に基づいて、具体的な言動を創り出していく。
この「わかった気になるコミュニケーション」が、日常のコミュニケーション活動の「本質」であるとすると、誤解があっても寛容になれる。誤解しても、誤解されても、まあそんなもんかと。
https://twitter.com/H_Hatayama
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