疲れ切った自分を立て直すために書く時間

内容はなんでもいい。

それっぽいタイトルでそれっぽく文章になったらいい。


この一週間は、こどもの発熱疑惑につきあって、自宅待機のような状況だった。

子どもももうすぐ3歳になるし、いい加減だいたいのことは自分でやろうとするので、世話をするからサポートするに変わりつつあるんだけど、

かまってかまっての甘えたい気持ちはまだまだ赤ちゃんのままだと思う。

日を追うごとに、自分の時間が欲しい、自分のタイミングでやりたい、ちょっとそっとしておいてほしいという願望が芽生える。

旦那の変則勤務の影響もあり、朝起きたときから夜寝かしつけまでひとりでやるのは、いまだにきつい。

てきとうに流せばいいんだけど、それができないから結局寂しい思いもさせてしまう。


ほんの少し、こうやってパソコンを構える時間でもいい。

ぼーっとテレビを見れる時間でもいい。

一生懸命遊ぶのも、すべてお母さんと共有したいらしい。


ぜんぶにお母さんがついていてほしいらしい。


わたしはこの時期を幸せとか楽しいとはなかなか思えず、

誰か代わって。ちょっとそっとしておいて。と逃げ場のなさにメンタルが先にやられる。


それから、仕事のこと。

こういう状況でもできることをちょこちょこやっておくといいんだろうけど、何もできなかった。

する気にならなかった。

そんな余裕がなかった。

仕事のことまで考える余裕も、お金の移動を家計簿から計算する余裕も、宅配物の段取りも 何もできなかった。

ただ、子どもの相手をして、無事に一日を終わらせることだけで精いっぱいだった。


なんで自分がここまで子育てで余裕がなくなるのかは分からない。

優先順位をつけるのが下手だから、目の前の要求にこたえ続けているとほかのことをするよりも先に体力がなくなっている。

子どもの要求は尽きないから、ただひたすらそれだけで時間が過ぎていくんだと思う。


もしかしたら、こどもの様子がもっと客観的に見れたり、自分のやりたいことや段取りがはっきりしていたら、こどもがいても仕事を進めたりこどもとの距離感を保って負担にならない程度でできるのかもしれない。

そういうことが、わたしにはできない。

ただ、目の前のことを一生懸命することしかできない。

先のことを考えて余力を残しておいたり、やる気と時間を分配してほどほどにいろんなことをこなしていったり、

ちょうどいいところで毎日過ごすことができない。

あたまを使うのが下手だ。

やりたいと思ったことをその場でこなしていくこと、

そうじゃないことは追い込まれないとやる気になれないこと

やらないといけないと思うことも、どこかで言い訳を作ってやらなくていいように先延ばしにしたりする。


今、そういう自分でいいのかと自問自答をしている。

そういう自分でいいよというのが自己肯定だとしたら、わたしはそうやって自分を甘やかしていいのか分からない。

逃げ道は必要だが、それだけ逃げたいことから面と向かって立ち向かうことはできるんだろうか。

自分を大切にする、自分の気持ちを無視ない、無理をしない

の程度がいまだによくわからないから、

自分で自分を甘やかさないように、どこか厳しくしないといけない気がする。

それから、そうやって自分に厳しくすることがいやだとも思う。


きちんと仕事をしていないというコンプレックスは、どこからくるのか。

きちんとしていないと、だめなのか。

ダメじゃないはずだけど、世間からの厳しい目をはねとばす強さが自分にはないから、

結局このままではだめなのかもしれないと負けてしまう。


自己肯定感が弱い人間にとって、

こういう状況は本当によくない。


何が正しいか、どうやったら自分を納得させられるか、

自分を信じていられるか

いちいち難しいことばかり考えては立ち止まってしまう。


人は、好きなことを言う。


自分は、自分を守るために言わないにしても、

言われることを気にせず自分のペースを守る強さが持てるか。


持ててないから、こんなに毎回落ち込むんだと思う。

強くなりたいなぁ。

本当の意味で、流されないで

自分の意思をもって生きていきたい。


そうやって生きていくことへの犠牲を理解したうえで、

信念は多少ゆらいだとしても、前を見れて

これでいいんだと自分を肯定することができれば、わたしは無敵になれるんだけどなぁ。




#自己肯定感 #書きたい欲求


運転中NOTE  を開きたい欲求に駆られて、携帯を見たら、警察に捕まりました。

そこまで見たい私の精神状態どんまい。

#交通ルールは守りましょう

#自己と社会

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