白鴉例会とフランツ・ロゴフスキと高麗博物館と『最後の決闘裁判』と創作と

 23日、白鴉例会。事情により、19時から開始。私の作品2本のみ。最初の「クエット」はマツ氏の依頼により、『反省しない犬 vol.2』のために書き下ろした12枚の作品。このwebsite内にもアップしてあります。とある企画に向けて書き直そうと思っていたけれど、どういう方向へ持っていこうか決めかねていたので出させてもらった。いつか書きたいと思っていたモチーフをこの機会にと、15枚以内という既定のところを12枚で仕上げた作品で、与えられた共通のテーマが「変身/変心」だった。問題点も明確になった上に整理できたし、改作の方向性も無事に決まった。2作目はおなじ企画に向けて書いた21枚の新作。原点回帰で、2014年の「三十歳」以降書かないでいた口蓋裂症について扱っている。以前書いていたときにも頭を悩ませていた手術の有無問題のことをすっかり忘れていたことに気づく。口蓋裂症について啓蒙しようとしている某YouTuber氏もこのことについて愚痴っていたというのに。手術したとしても一般的な唇には程遠いもので、きれいになったとして、ポエトリーリーディング用の詩にモチーフとして扱ったドイツの俳優フランツ・ロゴフスキぐらいの感じに収まってしまう。ここから美容形成外科で無保険の手術とかすればまた違う感じになるかもしれないけれど、たぶんそれでも当事者である私が思うような一般的な唇には程遠いものだろう。そりゃもとからくらべればきれいになってはいますがね。まあでもそう思うよな、と理解はできるので対策を考えねば。そして手術といえば明治時代に「完璧に治した」逸話があるが、とうぜん眉唾物である。個人的にダークコメディにするつもりで書いたものの、そこはうまくいっていないようだったが、わりと好評であった。後半だいぶ急ぎ足で書いたので雑だったと思うが。これまた改作の方向性が定まってよかった。ちなみに笑福亭鶴瓶のドキュメンタリー映画とタイトルが被っているという。べつにいいけど。
 今日は白鴉例会の前には14時から16時まで、新大久保にある高麗博物館今年3月に行っことがある)での深沢潮氏の講演をオンラインで。これまでどのように創作に向かい、どのような作品を書いてきたか、そして新作の『翡翠色の海へうたう』はどのようないきさつで書かれたか、といった内容。高麗博物館ではヘイトスピーチにかんする展示が2月まで行なわれているそうで、行けたら行きたいが、たぶん無理か。それとはまったく関係ないけど、金沢21世紀美術館のフェミニズム関連の展示は、ひさびさに金沢行きたいし、東京よりは行きやすいので前向きに検討したい。こちらは3月13日まで。

 リドリー・スコット監督の『最後の決闘裁判』について、14世紀フランスで実際にあった裁判をもとに、よくぞ現代的な問題を浮き彫りにした映画を撮ったという感じなのだけれども、作品の構成上、しっかりと描かれた強姦シーンが2度くりかえされるので、無責任にお勧めとか言えないなと、それにしてもなんで『プロミシング・ヤング・ウーマン』のようにはできなかったのかと疑問に思った。『プロミシング・ヤング・ウーマン』と違って、実際に見ないと被害者女性の言い分は信じられないという層が観客に多いという判断なのか。そういう人は見せても疑うと思うが。構成はあきらかにというか言うまでもなく黒澤明の『羅生門』だが、被害者女性の描きかたにおいて、フェミニズムのことなどまったく頭になかったころに観たときにもこれは酷いと思ったそれとは違って、完全に現代に合わせた更新がなされていて、これが批評性ということかとしみじみ。とりあえず原作が気になる

さいきん読み終えた本
イブラム・X・ケンディ『アンチレイシストであるためには』(辰巳出版)
グカ・ハン『砂漠が街に入りこんだ日』(リトルモア)

さいきん観た映画
『白頭山大噴火』(イ・ヘジュン/キム・ビョンソ)シネマート心斎橋
『ベイビーわるきゅーれ』(阪元裕吾) 4回目。シネマート心斎橋
『黄龍の村』(阪元裕吾)第七藝術劇場
『琵琶法師 山鹿良之』(青池憲司)第七藝術劇場
『由宇子の天秤』(春本雄二郎)テアトル梅田
『草の響き』(斎藤久志)テアトル梅田
『MINAMATA』(アンドルー・レヴィタス)大阪ステーションシティシネマ
『最後の決闘裁判』(リドリー・スコット)MOVIX尼崎
『PITY──ある不幸な男』(バビス・マクリディス)シネ・リーブル梅田
『コレクティブ──国家の嘘』(アレクサンダー・ナナウ)シネ・リーブル梅田


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