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抽象化と単純化の違い。過度な単純化は危険。

今日は最近、少し世の中の危険性を感じている点から、想いを書いてみました。

抽象化というのは、物事や出来事という対象から、普遍的に成り立つ点を抜き出し、体系化する事と言えます。
単純化というのは、物事や出来事という対象から、説明や状況に影響を及ぼさない範囲を排除し簡素にする事と言えます。

抽象化と単純化は明らかに異なります。

普遍的な点を抜き出し、体系化するという事は、文脈に依存しないシステムや思想を作り出しているという事。これは、あらゆる人生の局面で必要なアプローチ。

単純化というのは、対象を単純なシステム・思想・方程式などに置き換える際に、重要な判断が求められます。それは、削ぎ落とした部分と単純化された対象との間に因果関係が存在しないか、想定を置かずに、無条件に削ぎ落としていよいかの判断が伴います。

両方とも複雑な対象であればあるほど難しい作業が伴います。

但し、違うのは、

抽象化とはどんな状況でも成り立つ頑強なシステムを作る一方、単純化とはなるべく肉をそぎ落とし、理解がしやすいようにする為、システムとしては直感的である一方、応用は効かず、他の局面では成立しなくなります。

ここまでで言いたい事は、冒頭述べた通り、全く持って抽象化と単純化は違う事を言っているという事。

特に、ここでは誤った単純化の危険性を述べたいと思います。

自然科学のように、物質や現象が必ず決まった動きをする世界は単純化ができやすい。
したがって、方程式が成り立つ。そして美しくもあります。物理や数学の世界での究極と言えます。

一方で社会科学においては、人やエージェントの意志や行動が入り込む余地がある為、決まった動きを毎回必ずしない。だからこそ、単純化というのは極めて難しくなります。

因果関係、想定、意志、非合理性を無視できない結果、局面によって答えが変化してしまうからであります。

最近危険だと感じるのは、人々が検討する対象をすぐ単純化したがる事であります。

経済課題・財政問題・環境問題・官僚汚職・コロナ対策・イノベーション問題・経営問題と色々付きませんが、全体を俯瞰して、あらゆる点を考慮せずに、単純化し、そして発言してしまう。

確証バイアス、知識の欠如、社会科学の複雑性の無視。

SNSの弊害は上記の点を無視した状況での発言がネットワークによって拡散されてしまう事と言えます。

我々が考えないといけないのは、

1. 複雑なシステムの取り扱いには、俯瞰を意識し、早まった単純化による決定をしないこと
2. 情報のフィルタリングにおける”知識”と”感性”を備える事
3 情報の構成を公平性を持って行う事

過度な単純化は本当に危険であります。

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